日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正2年3月26日三田村郷名主百姓中宛羽柴秀吉判物

  

野村*1三田村郷*2*3水之申事*4、双方証文無之候条、急度不申付候、両郷之内何々一方、可為非分之申候間、後々聞届候共、則可令成敗候、然者従当作干水*5之刻者、三田村三日、野村へ一日、追日番水*6ニ可被申付候、右旨於相背者可為曲事之状如件、

  天正弐           藤吉郎

   三月廿六日          秀吉(花押)

   三田村郷

      名主

       百姓中*7

 

                       「一、85号、29~30頁」「雨森文書」

 

(書き下し文)

 野村三田村郷井水の申しごと、双方証文これなく候の条、きっと申し付けず候、両郷のうち何々一方、非分たるべくの申し候あいだ、後々聞き届け候とも、すなわち成敗せしむべく候、しからば当作より干水のきざみは、三田村へ三日、野村へ一日、追日番水に申し付けらるべく候、右の旨あい背くにおいては曲事たるべくの状くだんのごとし、

(大意)

 野村と三田村郷の用水相論についての主張は、証文など確実な証拠がないため間違いなく裁定することはできない。両郷のうち一方に非があることが後日露見したときはその郷を成敗する。さて今年の作付けより干害の場合は、三田村へ3日、野村へ1日、日に日に番水とする。この決定に背く者は処罰する。以上。

 

 Fig1. 近江国浅井郡野村・三田村郷周辺図

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                   「日本歴史地名大系」滋賀県より作成

Fig.2 近江国浅井郡および秀吉領周辺図

秀吉は近江国内のうち浅井、伊香、坂田三郡を充て行われている。

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                    『国史大辞典』「近江国」より作成

三田村郷と野村のあいだで争われた水論に関して秀吉が下した裁定である。まず、用水慣行を記した文書がないので黒白はつけられないとし、今年また干害に見舞われることがあれば三田村郷へ3日、野村へ1日ごとに水を引くことと新たに命じている。

 

また充所の

「三田村郷

      名主

       百姓中」

も気になるところである。名主百姓なのか、名主と百姓なのか、少なくとも写真を見る必要はあるが、当ブログでは「名主」と一段低い地位にある「百姓」に宛てたと解釈したい。

*1:近江国浅井郡、上図参照

*2:同上

*3:川から人工的に水を引き入れた用水路

*4:モウシゴト:主張、言い分

*5:旱水、旱魃の意

*6:順番に水を引く村を決める用水慣行

*7:タイトルでは「名主百姓中宛」としたが、「名主・百姓中宛」の可能性も大きい。こういう点で翻刻史料集のみによる解釈がいかに危ういものか、思い知らされる。