在所掟之事
一、当所不寄誰々身上*1、雖為地下人之内、出家侍百姓、曲事於申族在之者、惣在所衆押よせ、可及生害候、但親子兄弟なりとも、贔屓偏頗*2仕間敷事、
一、とう人*3の事、其仁*4生害不及申候、並くせ物*5宥*6仕候ハヾ、とう人可為同前事、
一、惣在所之内、誰々身上なりといふ共、何方よりも無理の儀被申懸候ハヾ、惣地下人指より*7可相理*8事、
天正弐年
三月廿二日 (差出人、充所ともに欠く)
「一、84号、29頁」「雨森文書」
(書き下し文)
在所掟のこと
一、当所誰々身上によらず、地下人のうちたりといえども、出家・侍・百姓、曲事申すやからこれあるにおいては、惣在所衆押し寄せ、生害におよぶべく候、ただし親子兄弟なりとも、贔屓偏頗つかまつるまじきこと、
一、盗人のこと、その仁生害申すに及ばず候、ならびに曲者なだめつかまつりそうらわば、盗人同前たるべきこと、
一、惣在所のうち、誰々身上なりというとも、何方よりも無理の儀申し懸けられそうらわば、惣地下人指よりあいことわるべきこと、
(大意)
在所の掟
一、当在所において、誰であるかにかかわらず、地下人の身分にある者でも、出家・侍・百姓のうちよからぬことをしでかした場合、「惣在所衆」で押しかけ、殺してしまいなさい。たとえ親子兄弟であっても依怙贔屓のないようにしなさい。
一、盗みの場合は、その者を殺害するには及ばない。ただし曲者を見逃した場合は盗人と同罪とする。
一、在所全員のうち、誰であっても、どこからか無理を申し懸けられている者がいたら、地下人全員がその場へ出向き、理非を判断しなさい。
前回の文書では「在々所々」、本文書では「在所」となっている。これは表記ゆれではなく、複数形と単数形を使い分けていると解するのが妥当と思われる。名称は「庄」であったり、「郷」であったり、「村」であったりと多様ではあるものの、実態としてもっとも基本的な共同体を「在所」と呼び、「惣在所」つまり「在所」の構成員全員(住人全体ではない)の連帯責任としていると読めるからである。
ただ「惣在所衆」と「惣地下人」と見えるが、前者が「長(おとな)百姓」などの有力名主層、地下人が一般百姓を指すのかこの文書だけでは判断できない。
「盗人は殺すな」と命じている点で、自検断の際限なき拡大に歯止めをかける一方で、「曲事を申すやから」は出家、侍、百姓に関わらず殺せとそれを認めている。この「曲事」がどのような行為を指すのかは不明だが、盗みより重罪とされていたことだけは間違いなかろう*9。
在所は「出家、侍、百姓」などの様々な身分の者が住む場所であると認識していたこともわかる。
第3条は、当事者主義でなく「地下人」総出で理非を判断せよと「在所」による裁定を命じている。これは自検断そのものを認める点で、のちの豊臣政権の方針とは異なるものの、当事者同士による「決着」が「在所」の紛争を生み、織田政権による在地支配秩序を乱す芽をあらかじめ摘んでおく意図があったと思われる。