羽柴藤吉郎
八月十一日*3 秀吉(花押)
ふるはし郷*4
名主百姓中
「一、60号、22頁」
(書き下し文)
おのおの、早々還住せしめもっともに候、下々みだりのやから一切停止せしめ候なり、
(大意)
古橋郷の名主百姓の者たち、早々に還住したこと実に感心である。軍勢の者たちによる乱妨狼藉は一切停止する。
天正元年8月10日織田信長は浅井久政・長政の本拠地小谷城を攻撃する。同27日両名は自刃するがそのさなかに古橋郷の名主百姓が帰村したことを顕彰する文書である。
ちなみに太閤検地論でこの「名主百姓」が「下人・名子・被官」を抱える家父長的奴隷主であり、「政治的には被支配身分だが、経済的には支配階級」と位置づけたのが安良城盛昭であった。