日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正元年8月11日古橋郷名主百姓中宛羽柴秀吉判物

各、早々令還住*1尤候、下々猥之族*2一切令停止候也、

                 羽柴藤吉郎

  八月十一日*3            秀吉(花押)

ふるはし郷*4

  名主百姓中

                       「一、60号、22頁」

(書き下し文)

おのおの、早々還住せしめもっともに候、下々みだりのやから一切停止せしめ候なり、

(大意)

古橋郷の名主百姓の者たち、早々に還住したこと実に感心である。軍勢の者たちによる乱妨狼藉は一切停止する。 

 

天正元年8月10日織田信長浅井久政・長政の本拠地小谷城を攻撃する。同27日両名は自刃するがそのさなかに古橋郷の名主百姓が帰村したことを顕彰する文書である。

 

ちなみに太閤検地論でこの「名主百姓」が「下人・名子・被官」を抱える家父長的奴隷主であり、「政治的には被支配身分だが、経済的には支配階級」と位置づけたのが安良城盛昭であった。

 

 

Fig. 近江国浅井郡古橋郷周辺図 

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                   「日本歴史地名大系」滋賀県より作成

 

 

*1:戦乱を避けて逃散していたが、早々に帰村した

*2:秀吉軍勢による乱妨狼藉

*3:天正元年

*4:近江国浅井郡古橋郷