日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

元亀2年6月13日山城国幡枝外郷中宛木下秀吉書状

加茂*1市原*2申詰*3山之儀、市原野従往古当知行*4候処、今又自加茂申懸*5之由、一円*6無分別*7候、御奉行中*8ゟ隣郷へ御尋ニ付ハ、様躰□用□可申候、少も於相紛*9者、我等来月可罷上*10候間、申上候而、成敗可申付候、為其如此候、恐々謹言、

                 木下藤吉郎

  六月十三日*11               秀吉(花押)

   幡枝*12

   野中

   二瀬

   鞍馬

   貴布祢  郷中

                   「豊臣秀吉文書集 一」40号文書、14~15頁

 

(書き下し文)

加茂と市原申し詰むる山の儀、市原野往古より当知行候ところ、今また加茂より申し懸くるのよし、一円分別なく候、御奉行中より隣郷へ御尋ねについては、様躰□用い□申すべく候、少しもあい紛れるにおいては、我等来月罷り上るべく候あいだ、申し上げ候てきっと成敗申し付くべく候、そのためかくのごとく、恐々謹言、

 

(大意)

加茂郷と市原郷が争っている山の権利について、市原郷が従来より差配しているところへ、いままた加茂郷の者が言いがかりをつけているとのこと。まったく許しがたいことである。奉行が周辺の郷村へ実態を調べに行くことについて・・・現地の状況について・・・ほんの少しでも虚偽の申し立てを行った場合、当方が来月現地へ向かうので、その者について申告しなさい。かならずその責めを負わせる。

 

 

 

Fig. 山城国幡枝郷周辺図(付録:明智光秀関係地名)

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                  「日本歴史地名大系」京都府より作成

郷村の者が「当知行」を行っており、従来からの秩序を周辺郷村が証人となっている様子が読み取れる。奉行たちも周辺郷村への聴き取りを行ったうえで現状を追認するという裁定を行っている。つまり、在地の秩序に介入しないということである。

 

*1:山城国愛宕郡、上図参照

*2:山城国愛宕郡市原野、上図参照

*3:議論して相手を言い負かす

*4:市原郷が従来より差配している

*5:言いがかりをつける、虚偽の申し立てをする

*6:一向に、まったく

*7:物事の道理・理非を判断すること

*8:「御」は信長への敬意を表している。つまり信長の直臣

*9:混乱させる

*10:京都近郊の郷村なので「のぼる」という表現になったと思われる

*11:元亀2年カ

*12:山城国愛宕郡、上図参照。以下同じ