加茂*1与市原*2申詰*3山之儀、市原野従往古当知行*4候処、今又自加茂申懸*5之由、一円*6無分別*7候、御奉行中*8ゟ隣郷へ御尋ニ付而ハ、様躰□用□可申候、少も於相紛*9者、我等来月可罷上*10候間、申上候而、急与成敗可申付候、為其如此候、恐々謹言、
六月十三日*11 秀吉(花押)
幡枝*12
野中
二瀬
鞍馬
貴布祢 郷中
「豊臣秀吉文書集 一」40号文書、14~15頁
(書き下し文)
加茂と市原申し詰むる山の儀、市原野往古より当知行候ところ、今また加茂より申し懸くるのよし、一円分別なく候、御奉行中より隣郷へ御尋ねについては、様躰□用い□申すべく候、少しもあい紛れるにおいては、我等来月罷り上るべく候あいだ、申し上げ候て、きっと成敗申し付くべく候、そのためかくのごとく、恐々謹言、
(大意)
加茂郷と市原郷が争っている山の権利について、市原郷が従来より差配しているところへ、いままた加茂郷の者が言いがかりをつけているとのこと。まったく許しがたいことである。奉行が周辺の郷村へ実態を調べに行くことについて・・・現地の状況について・・・ほんの少しでも虚偽の申し立てを行った場合、当方が来月現地へ向かうので、その者について申告しなさい。かならずその責めを負わせる。
郷村の者が「当知行」を行っており、従来からの秩序を周辺郷村が証人となっている様子が読み取れる。奉行たちも周辺郷村への聴き取りを行ったうえで現状を追認するという裁定を行っている。つまり、在地の秩序に介入しないということである。