日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

元亀元年8月19日東寺領上久世庄名衆百性中宛木下秀吉書状写

就東寺領之儀、先度信長被出朱印*1候之間、彼寺へ可納所由、則折紙進之処、寄事双*2于今無沙汰*3由不可然候、年貢諸成物等如有来候*4可寺納候、若於難渋者可令譴責候、為其折紙進候、恐々謹言、

   元亀元            木下藤吉郎

    八月十九日            秀吉

   東寺領上久世

    名衆百性中

                豊臣秀吉文書集 一」25号文書、10頁

 

(書き下し文)

東寺領の儀について、先度信長朱印を出され候のあいだ、かの寺へ納所すべきよし、すなわち折紙これを進らすところ、事を双によせ今に無沙汰のよししかるべからず候、年貢・諸成物など有り来り候ごとく寺納すべく候、もし難渋においては譴責せしむべく候、そのため折紙進せ候、恐々謹言、

 

(大意)

 東寺の荘園である上久世庄については、以前信長より東寺領の当知行を認める旨朱印状を与え、年貢諸役を東寺へ納めるべしとの折紙を差し出したところ、いまだあれこれと理由をいって年貢諸役を納めていないという。言語道断の所行である。従来通りに納めるようにしなさい。もしまたあれこれと困らせることがあれば、必ず責めを負わせる。そのために本文書を発給した。

 

 Fig. 上久世庄周辺図 「日本歴史地名大系」京都府より作成

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 上久世庄は一円型荘園の典型で、近世の上久世村にほぼ比定される。信長の朱印状によれば、足利家将軍家の御内書・下知状などによって東寺領であることが認められてきているのに、荘民はどうもこうした裁定に不満を持っていたようで、年貢などを滞納しているようである。業を煮やした秀吉は譴責をちらつかせつつ、信長の裁定に従うよう命じている、

*1:永禄12年4月21日東寺雑掌宛織田信長朱印状、奥野「織田信長文書の研究」177号文書、「大日本古文書 東寺百合文書 り」262号文書

*2:「左右」=ソウ、「左右に寄せて」で「あれこれと理由をつけて」の意

*3:東寺へ年貢などを納めていないこと

*4:従来通りに