日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正15年5月9日島津義久宛/同25日義弘宛・久保宛豊臣秀吉朱印状を読む

<史料1>

日本六十余州之儀、改可進止*1之旨被(闕字)仰出之条、不残申付候、然而九州国分*2儀、去年相計処、背御下知*3、依猥所行*4、為御誅罰、今度関白殿*5至薩州被成御動座、既可被討果刻、義久捨一命走入間、御赦免候、然上薩摩一国被宛行訖、全令領知、自今以後相守(闕字)叡慮*6、可抽忠功事専一候也、

  天正十五年五月九日 (秀吉花押)

         島津修理大夫とのへ*7

            

                  『豊臣秀吉文書集 三』2183号文書、120頁

 

(書き下し文)

日本六十余州の儀、改めて進止すべきの旨仰せ出ださるの条、のこらず申し付け候、然りて九州国分の儀、去る年あい計るところ、御下知に背き、猥りの所行により、御誅罰のため、このたび関白殿薩州に至り御動座なられ、既に討ち果たさるべききざみ、義久一命を捨て走り入るあいだ、御赦免候、しかる上薩摩一国宛て行われおわんぬ、まったく領知せしめ、自今以後叡慮をあい守り、忠功を抽くべきこと専一に候なり、

 

日本全国の土地および人民はすべて秀吉の支配下にあると宣言した上で、天皇の命を受ける形で九州の国分けを行うとの下知を下した。その秀吉の命に不満だった島津氏は抵抗したものの、結局降伏し、義久に薩摩一国が安堵された。また在京賄料として上方に1万石を与えている*8

 

<史料2>

今度九州事被成御改替*9為新御恩地、大隅国被宛行之畢、全令領知、自今以後可忠勤、但肝付一郡*10儀、対伊集院右衛門大夫*11被遣之旨、従最前被仰出之条、速可引渡者也、

  天正十五

    五月廿五日(秀吉朱印)

       島津兵庫頭*12とのへ

 

            豊臣秀吉文書集 三』2202号文書、130頁

 

(書き下し文)

このたび九州のことお改め替えなられ、新御恩地として、大隅国これを宛て行なわれおわんぬ、まったく領知せしめ、自今以後忠勤すべし、ただし肝付一郡の儀、対伊集院右衛門大夫に対して遣わさるの旨、最前より仰せ出さるの条、速やかに引き渡すべきものなり、

 

義久に花押を使用しているのに対して、義弘には朱印を据えているところが目につく。義弘には「新恩」として肝属郡を除く大隅一国を与えている。なお下図を参照されたい。

 

Fig.1  大隅国肝属郡関係図 国史大辞典」より作成

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<史料3>

日向国真幸院付一郡之事、被宛行訖、全令領知、向後可抽奉公忠懃候也、

    天正拾五

      五月廿五日(秀吉朱印)

        島津又一郎*13とのへ

 

              『豊臣秀吉文書集 三』2203号文書、130頁

久保宛も朱印である。 「真幸院」は日向国諸縣郡の西部を指す。ただし、義久は日向一国を欲していたようで、交渉相手は不明なものの成功報酬の条件を日向一国=金子200枚、半国=150枚、三分の一=100枚と三通り提示している*14

 

Fig.2 日向国関係図   国史大辞典」より作成

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参考のため、薩摩国の地図も掲載しておく。

 

Fig.3 薩摩国関係図  国史大辞典」より作成

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以上のように、天正15年の九州攻めにおいて秀吉に降伏した島津義久、義弘、久保はそれぞれ知行を安堵された。ただし、義弘へは「新恩」つまりいったん秀吉が没収した上で改めて充行うという形式を踏んでいる。秀吉は一円知行を原則としていたが、島津氏には妥協的な対応をしたようである。

 

ところで、翌天正16年には知行目録を発している。これについては次回にしたい。

*1:土地、財産、人を支配すること

*2:大名間の領知を裁定すること

*3:秀吉の命

*4:秀吉の命に背いた島津家の行動

*5:秀吉

*6:天皇の意思

*7:義久

*8:同年10月14日義久宛朱印状、2354号文書、178頁。ただし「所付の儀は来春仰せ付けらるべく候、当年は物成半納分、八木(=米)五千石下され候」とあり、領知ではなく米をもって宛行っている。翌年7月5日摂津・播磨19ヶ村の知行目録を発している=2541~42号文書

*9:改易

*10:大隅国肝属

*11:忠棟

*12:島津義弘

*13:島津久保

*14:天正15年6月11日某宛島津義久条々『大日本古文書 島津家文書之三』1439号文書、247~8頁