先日以下のニュースが流れた。
この説明では、文書の肝心な部分をカメラが避けたため、どのような記述から「大坂幕府」という結論にいたったのか検証不可能で、イライラばかりが募る。
また、アングルが正面からでないため読みにくいことこの上なく、4K8K放送が始まっている今日、映像技術の持ち腐れというほかない。
それはともかく、これまでこまごまと読んだ部分を接合してみることにしてみたい。
まず全体を掲げよう。
Fig.1
このうち読めた部分は以下の色枠線で囲った部分のみである。
Fig.2
以下、順に読んでいこう。
Fig.3
尊書拝見仕候
一、太子様*1御誕生之為祝
義宋如殿御のほせ被成
御口上之趣承届候
拙者方へ諸白大樽ニ被下
忝奉存候
一、御祝義御進物品・・・
可申候処ニいまた何・・・
上不申間今少相ま・・・
可然之由板周防殿被仰候間
如何様とも御差図次第と
(書き下し文)
尊書拝見つかまつり候、
ひとつ、太子様ご誕生の祝儀として宋如殿御のぼせなられ、ご口上の趣承り届き候、拙者方へ諸白大樽に下され、かたじけなく存じ奉り候、
ひとつ、御祝儀御進物品・・・申すべく候ところに未だ何・・・上申さざる間、今すこしあいま・・・しかるべきのよし板周防殿仰せられ候あいだ、いかようともお差図次第と・・・
Fig.4
一、上方相替事無御座候京
いなかともニ民百性町人
奉公人まても米無之迷惑
仕時と相聞え申候
一、来年(闕字)相国様*2 可被成(闕字)御
上洛かの様にとの沙汰御座候
左様之義御座候ハゝ被仰聞可
被下候
(書き下し文)
ひとつ、上方あいかわることござなく候、京・田舎ともに民・百性・町人・奉公人までも米これなく、迷惑つかまつる時とあい聞こえ申し候、
ひとつ、来年相国様御上洛ならるべきかのようにとの、沙汰ござ候、さようの儀ござそうらわば仰せ聞けられ下さるべく候、
Fig.5
一、大坂*3御城に御数寄屋出
来申候、御洛地已下も拙者□□(よりカ)
よく申付候而置候様こと
御意之旨此比*4永信州より
申来候連〻如申上候京・・・
貴様*5御洛地之石鉢(闕字)
前石御進上被成候而よく
御座候ハゝと存候前石も石鉢・・
Fig.6
無御座候間恐〻何方ニても
尋春*6へ可申と存候第一可
然無御座候大阪*7ハゆく/\ハ
御居城ニも可被成所ニ御座候間
此度御進上被成よくことかと
存候御数寄屋之がく石
いつころ右之分御進上被成
可然存候連〻左様に御
申被成候間恐〻得御意候
も可然と思召上候其元ニて信濃殿へ御相談可被成候
Fig.7
一、相国様御気色之様子
今程ハ御繕あかり候様子
被仰聞目出度存候弥御機
嫌よく御座候ハ左右被仰聞候
上下とも是のミ気遣
仕候通仙*8??候被相煩候
条其元之御下義も難
成存候通仙之茶をあけ
不申様ニ仕度御事ニ候
Fig.8
一、中山之かたつき之事
度〻被仰聞忝存候扨〻
結構成代物ニて御座候初而
承おとろき存候
一、拙者も此中度〻相乱
申候而に可相含仕迷惑仕候
されとも大阪*9御作事之
義に御用とも御座候而大阪へ
罷下昨日罷上候其数御返
事一両日相送申上方
御用之事少も/\油断
不存候随分身に及候御
奉公可仕と尋候とも油断
不存候
一、御息災ニ而切〻御登城被
成候間目出度存候弥
御養生被成候而可然存候
尚追〻可申上候恐惶謹言
小堀遠江守
極月十七日 正一(花押)
泉州*10様
貴報
Fig.9 追而書
(追而書)
尚〻来年御上洛之御沙汰
御座候ハゝ被仰聞可被下候神尾刑部
被(闕字)罷上候刻(闕字)来年にと御
上洛可被成と御(平出)
思召候間一位殿ニ(平出)
被下事可相延京都(平出)
ニて御上沙汰被相待候様ニ
と御詫之由神刑部殿ニ申
左様ニ候ハゝふと御上洛も
可被成候と承度存候而
申上候事ニ候以上
2019/01/25 追記
最初の「一つ書き」にある「太子様」=高仁親王が寛永3年11月13日に生まれていることから、寛永3年に比定したようである。