ドラマ「軍師官兵衛」36話の「官兵衛紀行」において、次の文書が紹介された。
Fig.1
それをこう読んでいる。
Fig.2
この画面にナレーションがこう流れる。
「狼藉や喧嘩をする者は成敗する」と各所にお触れを出しています
なるほど「各所」に目をつぶれば「狼藉・喧嘩・口論を禁じた。背いた者は成敗する」という説明に誤りはない。しかし、誤りはないものの、何も説明していないのに等しいこともまた事実である。
それは「誰が」「誰に対して」濫妨狼藉をはたらき、それらの行為を「誰に」禁じたのかまったく言及していないからである。
読んでみよう。
(竪紙)
制札
せき*3の事
一、本堂まハり竹木採用事
右条〻堅令停止畢
若違犯候輩堅可加成敗者也
天正十五年十二月晦日 黒田官兵衛(花押)
福原式部*6(花押)
吉川蔵人*7(花押)
(書き下し文)
制札
ひとつ、求菩提山衆中に対し狼藉のこと、
ひとつ、本堂まわり竹木採り用いること、
ひとつ、喧嘩・口論のこと、
右の条〻かたく停止せしめおわんぬ、もし違犯候ともがらは、かたく成敗を加わうべきものなり、
(大意)
制札
ひとつ、求菩提山の者どもに対して狼藉をはたらくこと。
ひとつ、本堂の周囲に生えている竹木を伐り取ること。
ひとつ、(黒田軍の者どもが)喧嘩口論をすること。
右三ヶ条、禁じたところである。もしこの禁制を破った者がいたら、厳罰に処すこととする。
Fig.3 求菩提山周辺図
こうした制札・禁制は戦国期にしばしば見られる、寺社や郷村に対して自軍の兵士が掠奪をはたらかぬよう保証した文書である。効力が発生するのは百姓がその場から立ち退かないことが条件とされる「味方の地」に限られる、消極的な「保護」に過ぎなかったこともよく知られる*8。
こうした制札はタダではない。対価を支払うわけであるが、あくまでも自軍の兵士の乱妨行為を禁じただけで、用心棒のように外敵から守るようなことはしない。
つまり、主語は黒田軍の兵士たちであり、間接目的語は求菩提山であるわけで、彼らが求菩提山に乱妨することを禁じた制札と解するのが正確な読み方である。
「歴史秘話ヒストリア」ではこう述べている。
エピソード1 兵士が村へやってきた
関ケ原の農民たちはどうしたのか?ヒストリアン・石井正則さんが現地に取材!
慶長5年秋、のどかな農村の広がる関ヶ原に現れた兵士たち。石田三成ら西軍が、交通の要衝・関ケ原を押さえるべく進軍してきたのです。村人たちは西軍に、村の地形や道を案内し、陣地の構築作業にも従事。あらくれ者の兵たちから女子供や田畑を守るため、農民たちはいかにふるまったのでしょうか?
まさしくこれである。