日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正11年3月晦日羽柴秀長宛羽柴秀吉判物を読む

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         2014年NHK大河ドラマ特別展図録『軍師官兵衛』86号文書、86頁

 

図録では「書状」とするが、文頭に表題が掲げられていること、「御宿所」「人〻御中(おんなか)」などの脇付が記載されていないこと、書き止め文言などから当ブログでは判物とした。なお『豊臣秀吉文書集』一、620号文書でも判物としている。ただ「以上」という書き止め文言は近世中後期の願書など、上申文書に見られることが多く、今後の課題としたい。

 

日本中近世では、公的な上意下達、下情上申を本来私信であるはずの書状で伝えるケースが非常に多い。繰り返し述べているが、最近古文書(発給人、受給人が明示的な文書)を安易に「書状」と呼ぶケースが増えているが、古文書学的には誤っているので注意を要する。

 

「判」は現在では印鑑を指すが、花押を書判とも呼ぶので花押が据えてある文書を判物、朱印・黒印が捺されているものを印判状(それぞれ印肉の色により朱印状、黒印状)と呼ぶ。なお、正確には印鑑は捺された印影を意味し、印文が刻まれたもの自体は印形、印章と呼ぶ。したがって「印鑑を偽造する」という言い方は現在はともかく本来なら誤用で、「印章を偽造する」と呼ぶのが正しいことになる。

 

 

 

    今日中ニ取出*1之堀のそとの小屋

(付箋)

   「可壊取書置*2之事」

(一、カ)

[  ]柴伊*3*4小屋*5儀美濃守*6てつたひ*7すへき

(一、久カ)

[  ]太*8小屋儀ハ将右衛門*9くミ*10の衆(闕字)官兵衛*11

くミ之衆(闕字)隼人*12くミ之衆為此衆*13てつたい候て

今日中ニ可被壊取事

一、筒順*14も久太*15小屋儀こほちとり*16之てつ

たい候て今日中ニ隙*17を可被明事

(一脱カ)明日朔日人数右ニ申所まて可被打入*18

陣はらい有間敷候小屋/\の火をけさせ

念を可被入候自然火もたきのこし小屋

より火出候ハゝ其くミの衆可為越度事

 以上

 三月晦日*19     秀吉(花押)

   美濃守殿

 

(書き下し文)

 

  今日中に取出の堀の外の小屋、壊ち取るべき書置のこと

一、柴伊衆小屋の儀、美濃守手伝いすべき

一、久太小屋の儀は、将右衛門組の衆、官兵衛組の衆、隼人組の衆、このための衆手伝い候て、今日中に壊ち取らるべきこと、

一、筒順も、久太小屋の儀壊ち取りの手伝い候て、今日中に隙を明けらるべきこと、

明日朔日人数右に申す所まで、打ち入らるべきこと、

陣払い*20あるまじく候、小屋/\の火を消させ、念を入らるべく候、自然火も炊き残し、小屋より火出で候わば、その組の衆越度たるべきこと、

 以上

  

 

 

(大意)

 

   今日中に出城の堀の外にある陣屋破却すべきものを書き置くこと

ひとつ、柴田勝豊郡の根小屋を破却することは、秀長軍が手伝うこととする。

ひとつ、堀秀政の陣は、前野長康組の衆、黒田孝高組の衆、木村重茲組の衆、このための衆が手伝い、今日中に破却することとする。

一、筒井順慶も、秀政小屋の破却を手伝い、今日中に更地にすること。

明日、四月一日人数を右に書き出したところへ、軍勢を退却させること。

陣開きはしないこと。小屋小屋の消火を徹底させること。万一火も消し忘れ、小屋から出火した際は、その組の軍勢全体の越度としなさい。以上。

  

 

柴田勝家との合戦の戦後処理について、秀吉が弟である秀長に命じた文書である。

 

秀吉の軍勢は「組」や「衆」と呼ばれる組織で構成され、陣内での火気について「衆」全体で責任を負うことが記されている。

 

「為此衆」がよくわからないが、おそらく破却のためだけに徴発された「中間」「小者」「荒し子」などと呼ばれる陣夫で構成された「衆」であろう。

*1:とりで、出城

*2:この文書のこと

*3:柴田伊介、伊賀守:柴田勝豊

*4:柴田勝豊の軍勢の

*5:根小屋型城郭か

*6:羽柴秀長

*7:手伝

*8:堀久太郎:堀秀政

*9:前野将(小・勝)右衛門:前野長康

*10:組、前野を寄親とする寄子の組か

*11:黒田孝高

*12:木村隼人正:木村重茲

*13:取り壊しのためだけに集めた人数

*14:筒井順慶

*15:堀秀政

*16:毀取

*17:空地

*18:味方の軍勢を退却させる

*19:天正十一年

*20:退陣