安土城考古博物館で下記の特別展が開かれているそうで、展示番号16番の柴田勝家発給文書を読んでみる。
特別陳列「重要文化財指定記念 長命寺文書展」 | 滋賀県立安土城考古博物館
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(折紙)
当寺之儀我等
拝領*1之内江新
儀非分或在陣
或分米*2等可出之由
申懸族在之由候
可為免除候猶以
違乱輩不可有承
引者也仍執達*5如件
三月十八日 勝家(花押)
(書き下し文)
当寺の儀、われら拝領のうちへ新儀非分、あるいは在陣、あるいは分米など出すべきのよし、申し懸けるやからこれあるよし候、所詮あり来たるごとく諸役免除たるべく候、なおもって違乱の輩承引あるべからざるものなり、よって執達くだんのごとし、
(大意)
我が分国内に対して、ある者は陣取り、ある者は分米など、新たにいわれのない課役を負担せよと、言い募る者がいるとの噂があるが、結局のところ、当寺については従来通り諸役は免除する。これ以上、これに背く者は容赦しない。以上、信長様の上意である。
書下とは武家様文書のうち、臣下が主人の命を受け、あるいはあらかじめ与えられた職務権限により、みずからの直状形式で下位の者に発給されたものをそう呼ぶ。 この柴田勝家の書下は書き止め文言に「仍執達如件」とあるので、前者となる。
さて元亀3年の近江では、この文書から織田領国内で様々な課役の負担を強要する旧勢力が存在していたことが読み取れる。
「日本大百科全書」より
上図においては、ピンクで塗りつぶされている織田領国であるが、現実には一円的支配が貫徹していたとはいえないようだ。そのような横合いからの干渉を排除して欲しいと信長に訴えた成果なのだろうか、この文書を発給してもらうことが可能になったのだろう。
「如有来」という文言はしばしば目にする。旧例を踏襲するケースは少なくない。