日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

慶長3年6月2日筑前国早良郡脇山三郎左衛門・庄屋百姓中宛謀書状写を読む

  尚以御朱印高札ニ書載村々立置儀候て可聞此旨候以上


急度申遣候仍両筑*1之内今まて中納言殿*2御蔵納*3御給地*4之分太閤様
御蔵入*5ニ被仰出付て石田治部少輔殿為御代官*6被成下着之由候然者
田畠毛付不残可申付候若又給人衆未進方さひそく被仰共不可出候
此上竹木万之儀ニ付て給人衆猥之族被申懸候共同心不可申毛付第一
可仕事肝心也
        山勘右*7
  六月二日*8
   早良郡
     脇山三郎左衛門*9
      庄屋
       百性中
 

     東京大学史料編纂所大日本史料総合データベース 宮崎家譜

 

(書き下し文)

    
きっと申し遣わし候、よって両筑のうち今まで中納言殿御蔵納・御給地の分太閤様御蔵入に仰せ出されについて石田治部少輔殿御代官として下着ならるのよし候、しからば
田畠毛付残らず申し付くべく候、もしまた給人衆未進方催促仰せらるとも出すべからず候、この上竹木よろずの儀について、給人衆みだりのやから申し懸けられ候とも同心申すべからず、毛付第一つかまつるべきこと肝心なり、

  なおもって御朱印高札に書き載せ、村々に立て置く儀候てこの旨聞くべく候、以上、

 

(大意)

必ず伝えます。筑前筑後はいままで小早川秀秋殿の御領地でしたが、このたび太閤様御蔵入地に命じられるにつき、石田三成殿が御代官として現地にお着きになったとのこと。したがって、田畠作付けを残らず命じて下さい。また小早川家中の者が年貢の未進があるからといって催促してきても差し出してはなりません。ほかに竹木を伐るなどあらゆることについて、小早川家中の者どもが言ってきても仲間に加わらず、作付けを第一にすることが肝要です。

 追って、秀吉様の御朱印状の趣旨を高札に書き写し、村々に立て、周知を徹底して下さい。

 

 

「山勘右」が不明だが、秀吉直臣で太閤蔵入地の代官だろうと思われる。

 

本文書は小早川秀秋の越前移封にともなう、秀秋家臣の「非分」なる行為に対して、耳を貸さぬように村々の庄屋百姓中へ周知徹底させるようにうながしたものである。

 

 筑前国早良郡・志摩郡・怡土郡の位置関係図

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                 「日本歴史地名大系」福岡県より作成

 

 

*1:筑前筑後

*2:小早川秀秋

*3:秀秋直轄地

*4:秀秋給人知行地

*5:太閤蔵入地

*6:太閤蔵入地の代官

*7:未詳

*8:慶長3年

*9:のち黒田長政入筑時に代官として任命される秀則か