日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

慶長3年6月22日筑前国志摩郡在々宛石田三成掟書写を読む

  
  

   条々
一、来秋執納之事、田不苅以前ニ代官見及、其田々ニより見そん*1ニ可仕事、
一、めんあひ*2百姓と代官ねんちかい*3の田畠有之者、何も苅分*4ニいたし三分壱作徳遣、三分弐可運上事、
一、納様之事者、年貢持て来其百姓不寄上手下手*5あげて*6はかり、壱石ニ弐升指米*7を可出之事、
一、莚払*8取申事停止の間、たとい納候者取可申由申候共、出候百姓可為曲事、
一、年貢米五里ハ百姓持て可出之事、
一、五里之外者百姓之隙に飯米を遣持せ可申事、
一、田畠何によらすうへ付*9候物を可運上事、
右七ヶ条そむく族あらは、百性代官ニよらす遂糺明曲事ニおこなふへき事、
一、百性・庄屋并隣郷と公事篇*10相論の事あり共、七月十五日の中ニ申上間敷候、其故者耕作仕付申さハり*11に成候間、詮作有度事あり共、此法度之旨ニまかせ令堪忍、七月十五日過郡奉行ニうつたへ*12可申候、如此相定候、七月十五日内ニ申上族あらは、たとい理*13たりと云共其者可為曲事、
一、先代官給人之時*14めし*15失候地下人、我等へ不申理還住可為曲事、右条々如件、
慶長三年
  六月廿二日     治部少 華押*16
          筑前国志摩郡
               在々

           

           東京大学史料編纂所大日本史料総合データベース 筑前朱雀文書

(書き下し文)

  
  
   条々
一、来秋執り納めのこと、田苅らざる以前に代官見及び、その田その田により見損につかまつるべきこと、
一、免相、百姓と代官念違いの田畠これあらば、いずれも苅り分けに致し、三分の一作徳に遣わし、三分の二運上すべきこと、
一、納め様のことは、年貢持て来たりその百姓上手・下手によらず、あげてはかり一石に二升指米これを出すべきこと、
一、莚払い取り申すこと停止のあいだ、たとい納め候者取り申すべきよし申し候とも、出し候百姓曲事たるべし、
一、年貢米五里は百姓持ちでこれを出すべきこと、
一、五里のほかは百姓の隙に飯米を遣わせ持たせ申すべきこと、
一、田畠何によらず植え付け候物を運上すべきこと、
右七ヶ条背く族あらば百性代官によらず糺明を遂げ、曲事に行うべきこと、
一、百性庄屋ならびに隣郷と公事篇・相論のことありとも、七月十五日のうちに申し上げまじく候、
そのゆえは耕作仕付申す障りになり候あいだ、詮索ありたきことありとも、この法度の旨にまかせ堪忍せしめ、七月十五日すぎに郡奉行に訴え申すべく候、かくのごとくあい定め候七月十五日のうちに申し上ぐ族あらば、たとい理たりというとも、その者曲事たるべし、
一、先の代官給人の時、召し失せ候地下人、我等へ申し理らず還住曲事たるべし、右条々くだんのごとし、

 

(大意)

   条々
一、この秋年貢納入の件、稲を刈る前に代官が検分し、その田その田の作柄に応じて減免にすべきこと。
一、年貢率は、百姓と代官のあいだに認識の差がある田畠があったなら、その田畠はすべて苅り取り、三分の一を百姓の作徳とし、三分の二を年貢として納めなさい。
一、納め方は、年貢を持ち寄ってきた百姓の身分の上下にかかわらず、全員そろって量り、一石あたり二升を指米として差し出しなさい。
一、莚払いとして穀物類を取りことは禁止したので、たとえ納めた者が取ってもよいと言っても、筵払いを差し出した百姓の罪科とすること。
一、年貢米は五里以内の場合はその費用は百姓持ちとする。
一、五里以上の場合は、百姓の手間賃として飯米を渡すこととする。
一、田畠は作付けした作物が何であろうと、その作物を納めること。
右の七ヶ条に背く者がいたならば、百姓であろうと代官であろうと裁きをおこない、罪科とする。
一、百姓と庄屋ならびに隣郷と訴訟沙汰が起こったとしても、七月十五日までは御上に訴え出ることはならない。
その理由は耕作の障りになるので、裁定して欲しいといっても、この法度の趣旨にしたがい相手の非違を許し、七月十五日過ぎに郡奉行に訴え出なさい。このように定めたので七月十五日までに訴え出る者がいたならば、たとえ道理があるといっても、その者の罪科とする。

一、先の小早川秀秋殿の代官や給人の時、越前へ行ってしまった地下人は、三成に無断でまた筑前へ戻ることは曲事とする。右の条文は以上である。

 

七ヶ条に補足が加筆されている変則的な形式であるが、写であるためそのあたりの経緯は分からない。ほとんどが近江に下したものと同内容であるが、実際に作付けしたもので納めよ、という7条目の記述は目を引く。

 

また相論について訴え出ることを7月15日まで禁じているのも興味深い。ただ、自力救済の行使を禁じていないところは気になる。

 

最後の条文の「地下人」はおそらく「侍・中間・人足」のことだろう*17

 

 

*1:

*2:免相

*3:念違い

*4:田畑の作物の半分を主人に納め、残り半分を自分の方に残して、半分ずつ取ること

*5:身分の上下にかかわらず

*6:挙げて:こぞって、全員揃って

*7:年貢の運搬中にこぼれ落ちる減量分をあらかじめ余計に納める米、ここでは2%

*8:筵払い:筵に米などをあけて量るさいに量る人が得る余得

*9:植え付け

*10:公事変:訴訟沙汰

*11:障り

*12:訴え

*13:ことわり

*14:小早川秀秋の代官・給人が支配していたとき

*15:召し

*16:この文書は写なのでここに石田三成の花押が据えてあるということを示す

*17:以下参照

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