日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

慶長4年1月15日筑前国志摩郡宛小早川秀秋定書を読む

 

       定       筑前国志摩郡
一、去年越前へ国替之刻、侍中間人足*1以下対主人給人不相届族雖有之無其改其科令宥免之事、
一、諸給人未進借銭執沙汰一切有間敷事、
一、当作毛之儀其所之奉行之者令相談急与可致開作濃(ママ)料*2之儀者可借遣之事、
一、山林竹木雖先代官不可伐取之事、
一、対百姓非分之輩於有之者早注進可仕之事、
右条々違犯之族於有之者可処厳科者也、
   正月十五日*3   秀秋(花押)

             東京大学史料編纂所大日本史料総合データベース 朱雀平吉文書

 

(書き下し文)

      定       筑前国志摩郡
ひとつ、去年越前へ国替のきざみ、侍・中間・人足以下主人・給人に対しあい届けざる族これあるといえども、その改めなくその科宥免せしむるのこと、
ひとつ、諸給人、未進・借銭の執沙汰一切あるまじきこと、
ひとつ、当作毛の儀、その所の奉行の者相談せしめ、きっと開作致すべし、農料の儀は借し遣わすべきのこと、
ひとつ、山林竹木、先の代官といえども伐り取るべからざるのこと、
ひとつ、百姓に対し非分の輩これあるにおいては、早く注進つかまつるべきのこと、
右条々違犯の族これあるにおいては厳科に処すべきものなり、

 

(大意)

     定    筑前国志摩郡

ひとつ、昨年越前へ国替えになった折り、侍・中間・人足以下その主人・給人に届け出ずに、越前についてきた者がいるということだが、彼らは改めなしにその罪科を宥免させることとする。

ひとつ、給人たちが年貢の未進や借銭の取り立てなどの処理を行うことを一切禁ずる。

ひとつ、今年の作付けについてはそのところの奉行に相談させ、必ず開墾すること。農耕に必要な種子や食料は貸し与えるようにしなさい。

ひとつ、山林の竹木は以前代官だった者でも伐り取ってはいけない。

ひとつ、百姓に対して非分を申し懸ける者がいたならば、速やかに注進しなさい。

右の条々を犯す者がいたならば、厳罰に処すものである。

 

 

慶長4年2月5日付で秀秋は越前からふたたび筑後筑前を支配することになった*4

 

1条目では越前に移封になったさい、侍・中間・人足=奉公人が、雇用主に届けることなく勝手に秀秋についていったことを大目に見るという規定であり、本来なら罪になるということを意味する。すなわち、侍・中間・人足といった奉公人が雇用主に断らずに、移住することは禁じられていたわけである。彼ら奉公人はふたたび移住してきたのだろう。

  

2条目と4、5条目は百姓への乱妨など給人の恣意的行為を禁じた規定であり、3条目は勧農に関するものである。

 

なお、小早川秀秋筑前支配については次を参照されたい。

小早川秀秋の筑前支配と石高制 <論文> - 広島大学 学術情報リポジトリ

 

*1:荒し子か

*2:農料:種子や食料

*3:慶長4年

*4:『大日本古文書』毛利家文書、1118号文書、五大老連署知行宛行状案