日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

年未詳8月23日今井清右衛門尉宛石田三成判物を読む

免相*1之事ハ、嶋左近*2・山田上野・日岡帯刀両三人ニ申付候、右之三人之儀勿論誓詞*3之上可為順路*4候間、任其旨可相納候、三人方へも右之趣申付候也、

 八月廿三日*5  三成(花押)

           今井清右衛門尉殿

             

                      

 

(書き下し文)

免相のことは、嶋左近・山田上野・日岡帯刀両三人に申し付け候、右の三人の儀勿論誓詞のうえ順路たるべく候あいだ、その旨にまかせあい納むべく候、三人方へも右の趣申し付け候なり、

 

 (大意)

年貢のことは、嶋左近、山田上野、日岡帯刀の三名に命じたところである。右三名に起請文を提出させた上で、正しい手順を踏んで行うべきところなので、その手順に従い納めなさい。三人にもその旨言い聞かせたところである。

 

 

近江国伊香郡唐川村の今井清右衛門尉に宛てて発給されたものである。「その旨にまかせあい納むべく候」とあることから、今井清右衛門尉は年貢を「納めるべき」主体であったと解釈される。下代などならば「納めしむべし」という表現になるだろう。起請文の内容も検見などのさいに礼銭・礼物を請け取らない旨誓ったものと思われる。

 

給人地の年貢については給人が決定することなので、この文書は三成蔵入地に発給されたと見るのが妥当だろう。とすれば、この3名は三成の代官をつとめていたことになる。

 

*1:年貢

*2:島清興

*3:起請文

*4:正しい手順

*5:底本では慶長元~三年とする