(三成朱印)当なつより、しよこくむぎ年貢、田方三分壱納可申旨、御意*1ニ付而、可納やう、又おさむまじき田畠之免之事、
一、田にむぎまき*2申分ハ、其田/\の麦毛のうへにてミおよび、三分壱きう人*3ニ納をき、すなはち其地下にくら*4に入、あつけおき*5可申事、付升ハ我等判のます也、
一、むぎまかぬ田にハ、いらん*6申分あるまじき事、
一、はたけ・屋しきにハ、たとひ麦まき申候共、いらんあるまじく候事、
右如此安宅三河*7ニ申付候間、もし此外ひぶんなる儀これあらハ、此方へ可申上者也、
慶長弐年四月廿日 治部少(三成黒印)
(書き下し文)
当夏より、諸国麦年貢、田方三分の壱納め申すべき旨、御意について、納むべき様、また納むまじき田畠の免のこと、
ひとつ、田に麦蒔き申す分は、その田その田の麦毛の上にて見及び、三分の壱給人に納め置き、すなわちその地下に蔵に入れ、預け置き申すべきこと、付けたり、升は我等判の升なり、
ひとつ、麦蒔かぬ田には、違乱・申分あるまじきこと、
ひとつ、畠・屋敷には、たとい麦蒔き申し候とも、違乱あるまじく候こと、
右かくのごとく安宅三河に申し付け候あいだ、もしこの外非分なる儀これあらば、此方へ申し上ぐべきものなり、
(大意)
この夏より、諸国の麦年貢、田は三分の一納めるべき趣旨の秀吉様の命について、納めるべき方法、また納めるべきでない田畠の年貢のこと。
ひとつ、田に麦を蒔く分は、その田その田の麦の出来具合を見きわめ、三分の一を給人に納め、すなわちその村の蔵に入れ、預けて置くこと。付けたり、升は三成の花押のある升を使いなさい。
ひとつ、麦を蒔いていない田に、麦年貢を課してはいけない。
ひとつ、畠・屋敷には、たとえ麦を蒔いていても、麦年貢を課してはいけない。
右の通り安宅秀安に命じたので、もしこのほかに麦年貢を課すようなことがあったならば、三成まで訴え出なさい。
宛所の村々の位置は以下の通り。
「日本歴史地名大系」滋賀県より作成
本文書冒頭の朱印の意味はよくわからない。
この麦年貢徴収は二度目の唐入りのための兵糧確保のためとされている。ただ徴収にあたって、給人地は給人の、三成蔵入地は代官の恣意的徴収があったなら、訴え出ることを村に求めている。
ただし「すなわちその地下に蔵に入れ、預け置き申すべきこと」とあるように、すぐさま収納するのではなく、村々の蔵にいったん預けておくことを命じているのが特徴的である。
参考史料
為(闕字)御意*9急度申入候、在々麦年貢事、田方三分壱納所可被申付旨被(闕字)仰出候条、其方知行分遂内検、帳を作可有納所候、右帳面ニ若麦田分隠置候者、御給人*10可為越度旨被(闕字)仰出候条可被入御念候、恐々謹言、
卯月二日*11
増右
長盛(花押)
長大
正家(花押)
石治
三成(花押)
徳善
玄以(花押)
上坂八右衛門殿*12
御宿所*13
(書き下し文)
御意としてきっと申し入れ候、在々麦年貢のこと、田方三分壱納所申し付けらるべき旨仰せ出だされ候条、その方知行分内検を遂げ、帳を作り納所あるべく候、右帳面にもし麦田分隠し置きそうらわば、御給人越度たるべき旨仰せ出だされ候条御念を入れらるべく候、恐々謹言、
『新修彦根市史第五巻』815頁、57号文書