一、千石につめ夫一人とあひさたむるなり、このほかつかふ事あらば、此ゐんはん*4ニて、いくたり*5いたし*6候へと、申つかわすへく候、然者奉行人を申付おくへき間、十二月廿日ニ当村の年中のいんばんの書物あつめあげ可申候、すなわちはん米*7をつかハすべき事、(三成黒印)、
(書き下し文)
坂田郡のうち成菩提院村掟条々
ひとつ、千石に詰夫一人とあい定むるなり、このほか使うことあらば、この印判にて、幾人出しそうらえと、申し遣わすべく候、しからば奉行人を申し付け置くべきあいだ、十二月二十日に当村の年中の印判の書物集め、上げ申すべく候、すなわち飯米を遣わすべきこと、(三成黒印)、
(大意)
坂田郡成菩提院村掟条々
ひとつ、千石あたり一人の詰夫を差し出すよう定めたところである。このほかに使役することがあれば、「この三成の印判にて、何人差し出すように」と、申し遣わすこととする。それで奉行人を命じたので、規定を超えて徴発された場合、毎年十二月二十日にこの印判が据えられた文書を集めて奉行人に差し出しなさい。精算の上、飯米を支給する。(三成黒印)
九ヶ条が出された黒田村と十三ヶ条が下された成菩提院村の位置関係は以下の通りである。参考までに2018年国宝に指定された菅浦文書の舞台、菅浦も示しておいた。
Google Mapsより作成
この文書は通常とは異なり、第一条の文末に図の三成の捺印が見られる。
『国史大辞典』より引用
「成菩提院村」という村名は「旧高旧領取調帳」*8では見られない。柏原村の「成菩提院領」「同除地」として160石余記載が見られるのみである。柏原村は2310石余と村高はかなり大きい。
内容は、定められた千石あたりひとりの詰夫以外に、労役を課される場合は三成の印判状を発給することを約している。それ以上の負担には飯米を給付するとしている。
この文書は三成の蔵入地に発給されたものであるので、もちろん給人による規定以上の使役はないが、三成の被官である代官、奉行人が「私的に」使役する可能性は排除しきれない。そこで印判状をもって申し渡すとしているのだ。