日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

慶長8年4月11日平清水下野宛最上義光知行宛行状を読む???

 

前回の記事で写真が得られなかった領知宛行状を読んでみる。

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

 

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(折紙)

千石事令扶助

之訖永可有領知

者也仍如件

  出羽守*1

慶長八卯

 四月十一日  義光(花押)

 平清水下野殿

 

(書き下し文)

千石のこと、これを扶助せしめおわんぬ、ながく領知あるべきものなり、よってくだんのごとし、

 

 

*1:「欧米では」「世間では」と「では」を多用する人を揶揄して「出羽守」というのに対して、平薩摩守忠度から無賃乗車を「薩摩守」といっていた時代もあった