より外、別ニ可行方無之候、随分念を入、可被尋
出候、以上、
和久左衛門大夫*4城破却之儀、去年申付候処、号寺家を残置、任雅意*5之条、昨日加成敗*6候、近年逆意之催、不可有其隠候*7、就其、彼一類并被官人、其在所*8へ逃入之由候条、急度搦捕之可出候、下々*9於隠置者、雖至後々年、聞付次第、当在所*10加成敗候*11、別而念を入尋出、可有成敗候、猶上林紀伊守可*12申候、恐々謹言、
(天正九年) 日向守
六月廿一日 光秀(花押)
出野左衛門助殿
片山兵内殿*13
進之候*14
藤田ほか編『明智光秀』109号文書、109頁
(書き下し文)
和久左衛門大夫、城破却の儀、去年申し付け候ところ、寺家を残し置くと号し、雅意に任せるの条、昨日成敗加え候、近年逆意の催し、その隠れあるべからず候、それについて、彼の一類ならびに被官人、その在所へ逃げ入るのよし候条、急度これを搦め捕り出すべく候、下々隠し置くにおいては、後々年にいたるといえども、聞き付け次第、当在所成敗を加え候、べっして念を入れ尋ね出し、成敗あるべく候、なお上林紀伊守申すべく候、恐々謹言、
なおもって、和久左息井上介・肥前入道取り逃げ候、その山中よりほか、
別に行くべき方これなく候、随分念を入れ、尋ね出されるべく候、以上、
(大意)
和久左衛門大夫、居城を破却すべきことを昨年命じたところ、寺などは壊さず残すと主張し、わがまま放題の振る舞いをしているので、昨日裁きを行い、逆心を抱いていることが明白になりました。それで和久の親類縁者および家臣どもが、そなたの村々へ逃亡したそうですので、かならず彼らを捕縛してください。下々の者が彼らをかくまうなどすれば、数年後といえども、こちらの耳に入り次第、在所全体を成敗しますので、入念に探し出し、裁きの場に出すように。詳しくは上林紀伊守が申します。謹んで申し上げました。
追って申し述べます。和久左衛門大夫の子息井上介や肥前入道も逃亡しました。そちらの村々以外に、行くところもないので入念に探し出すように。以上。
和久城周辺図
Google Mapsより作成
そういえば脇付をもっとも使うのは医師ではないかと思う。完全に個人的な観測範囲内だが、紹介状に「○○先生 御侍史」と書かれていないものは見たことがない。これは病院のヒエラルヒーと無関係でもあるようだ。個人のクリニックから大病院への場合はもちろん、その逆もまた然りである。
一方、就職活動やビジネスなどの場面で、文末に「恐惶謹言」などとしたためようが、「人事部 人々御中」と書こうが、「××課長 御机下」などと封筒に記そうが、おそらく奏功しないだろう。
大変興味深い。