法花寺西蔵対寺家、毎度緩怠*1之子細*2就在之、去
年生害*3させ可遣候処、風をくらひ*4走*5候間、不及
了簡*6候、然□□(者其)村へ切々*7立入由候末、其元於在
之者搦捕可上候、自然於見隠*8聞隠*9者可為曲事候也、
慶長二年
正月廿三日 隠岐(石田正継*10印)
西山*11
名主百姓庄屋
侍中
東京大学史料編纂所「大日本史料総合データベース」「南部晋文書」より
(書き下し文)
法花寺西蔵、寺家に対し、毎度緩怠の子細これあるについて、去年生害させつかわすべく候ところ、風を食らい、走り候あいだ、了簡におよばず候、しからばその村へ切々立ち入るよし候すえ、そこもとこれあるにおいては、搦らめ捕り上ぐべく候、自然見隠し・聞き隠しにおいては曲事たるべく候なり、
(大意)
法花寺西蔵が寺に対して、何度も過失がありトラブルが絶えないので、昨年処刑させるべく使者を派遣する予定だったのだが、西蔵はこれを察知して逃亡した。まことに腹立たしいことだ。ついては、西山村へ何度も現れたそうで、そこにいるのならば、すぐに捕縛し、当方へ出頭させなさい。万一、見て見ぬ振りをしたり、聞き及んでいるのに知らない振りをした場合は罪科である。
宛所から西山村には「侍」「庄屋」「名主」「百姓」と呼ばれる者がいることがわかる。
また、その場で殺害せず、生け捕りにして佐和山まで連れてくるように命じているところが興味深い。村が実力行使をするのではなく、あくまで「公儀」として処罰するという姿勢を見て取ることができる。「去年生害させつかわすべく候ところ」とあるのも、法花寺が処刑するのではなく、佐和山から派遣した者が行使するという意味ではないだろうか。
Google Mapsより作成
2018年6月29日追記 「名主」「百姓」と読んでみたが、「名主百姓」とすべきかも知れない。