今度従氷上表打入候刻、当村百姓別而馳走之段、懇志不浅候、依之諸役・万雑公事令免許畢、仍如件、
天正四 (光秀)
二月廿四日 (花押)
曽祢村
惣中
藤田ほか編『明智光秀』69号文書、77頁
*今度従氷上表打入:波多野秀治との合戦
*当村百姓別而馳走之段:軍役や陣夫役をつとめたこと。
*万雑公事:荘園や国衙領(公領)などで課される人身課税。祖調庸のうち、調や庸の系譜を引く。
「日本歴史地名大系・京都府」より作成
(書き下し文)
今度氷上表より打ち入り候きざみ、当村百姓別して馳走の段、懇志浅からず候、これにより諸役・万雑公事免許せしめおわんぬ、よってくだんのごとし、
(大意)
今回の丹波攻めのさい、当村の百姓たちはとてもよく働いてくれました。その功に報い諸役・万雑公事を免除させた。以上。
曽祢村には「惣中」と呼ばれる組織があったことが読み取れる。