日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正4年2月24日丹波国船井郡曽祢村惣中宛明智光秀判物を読む

 

 

今度従氷上表打入候刻、当村百姓別而馳走之段、懇志不浅候、依之諸役・万雑公事令免許畢、仍如件、

  天正               (光秀)

    二月廿四日        (花押)

     曽祢村

      惣中

  

            藤田ほか編『明智光秀』69号文書、77頁

 

*今度従氷上表打入:波多野秀治との合戦

 

*当村百姓別而馳走之段:軍役や陣夫役をつとめたこと。

 

*万雑公事:荘園や国衙領(公領)などで課される人身課税。祖調庸のうち、調や庸の系譜を引く。

 

*曽祢村:丹波国船井郡

 

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       「日本歴史地名大系・京都府」より作成

 

(書き下し文)

今度氷上表より打ち入り候きざみ、当村百姓別して馳走の段、懇志浅からず候、これにより諸役・万雑公事免許せしめおわんぬ、よってくだんのごとし、

 

(大意)

今回の丹波攻めのさい、当村の百姓たちはとてもよく働いてくれました。その功に報い諸役・万雑公事を免除させた。以上。

 

 

曽祢村には「惣中」と呼ばれる組織があったことが読み取れる。