(折紙)
今度、赤井五郎御成敗之儀被仰出、任(闕字)上意之旨申付候、仍在々所々不寄誰々、急度可還住者也、
天正七年
八月廿四日 光秀(花押)
寺庵中
高見山下町人中
所々名主中
所々百姓中
藤田ほか編「明智光秀」92号文書
*赤井五郎:赤井忠家(1549−1605)、丹波奥三郡を支配していた国人。8月9日黒井城落城により光秀による丹波攻略がなる。
*上意:信長
「国史大辞典」より作成
「日本歴史地名大系」兵庫県より作成
*寺庵:給人、地侍、名主クラス
*高見山下町:奥野「織田信長文書の研究」では吉見山の城下町とする(下巻、458頁)。
*山下:山の麓、山城の麓に構えた屋敷地などを意味する。
(書き下し文)
今度、赤井五郎御成敗の儀仰せ出だされ、上意の旨にまかせ申し付け候、よって在々所々誰々によらず、きっと還住すべきものなり、
(大意)
今度、赤井五郎を成敗するようにと命じられ、信長様のご命じになったとおり彼らを平らげました。したがって町村のどのような者であっても、必ず村々に帰住しなさい。
合戦に巻き込まれることを避けた、氷上郡の寺庵、名主、百姓に対して、還住を命じた判物である。