日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

天正7年8月24日丹波国氷上郡寺庵・高見山下町人中・在々所々名主・百姓中宛明智光秀判物を読む

 

 (折紙)

 

今度、赤井五郎御成敗之儀被仰出、任(闕字)上意之旨申付候、仍在々所々不寄誰々、急度可還住者也、

  天正七年

   八月廿四日         光秀(花押)

   氷上郡

    寺庵中

    高見山下町人中

    所々名主中

    所々百姓中

          

           藤田ほか編「明智光秀」92号文書

 

*赤井五郎:赤井忠家(1549−1605)、丹波奥三郡を支配していた国人。8月9日黒井城落城により光秀による丹波攻略がなる。

 

*上意:信長

 

氷上郡丹波国

 

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             「国史大辞典」より作成

 

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        「日本歴史地名大系」兵庫県より作成

 

*寺庵:給人、地侍、名主クラス

 

高見山下町:奥野「織田信長文書の研究」では吉見山の城下町とする(下巻、458頁)。

 

*山下:山の麓、山城の麓に構えた屋敷地などを意味する。

 

(書き下し文)

今度、赤井五郎御成敗の儀仰せ出だされ、上意の旨にまかせ申し付け候、よって在々所々誰々によらず、きっと還住すべきものなり、

 

(大意)

今度、赤井五郎を成敗するようにと命じられ、信長様のご命じになったとおり彼らを平らげました。したがって町村のどのような者であっても、必ず村々に帰住しなさい。

 

 

合戦に巻き込まれることを避けた、氷上郡の寺庵、名主、百姓に対して、還住を命じた判物である。