日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

上杉鷹山の格言「為せば成る、為さねば成らぬ何ごとも。成らぬはひとの為さぬなりけり」の言及範囲

 

教訓がましい話をするとき、よく引用されるのが上記の格言である。こういう格言を好むひとは世間に多いようであるが、いったいどの程度の範囲に言及した言葉なのだろうか。可視化してみた。

 

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「為さねばならぬ何ごとも」については全称命題にあたるので、単純化した。「為さねば成らぬ」の代表例が「宝くじは買わなければ当たらない」というものだ。

 

この図から明らかな点は、この格言は努力や行動の結果「失敗」のやむなきに至った場合、「意図せざる結果」を招いた場合、および「果報は寝て待て」のような「棚からぼた餅」のケースに言及されていないことである。つまり考え得る4通りのケースすべてに目配りされていない点で不十分な経験則にすぎないということになる。

 

結論は「成らぬはひとの為さぬなりけり」であるが、これは図の最下部に示したとおり、「為せば成る」の対偶であり、「為せば成る」が真ならば真となるが、「為しても成らぬ」の失敗のケースを無視している点で判断しかねることとなる。