日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

元亀元年8月10日東寺、明智光秀の下久世庄「押妨」を訴える

 

東寺百合文書「ひ函175号文書」によれば、元亀元年明智光秀が下久世庄の年貢公事などを納めず困窮しているので、やめさせて欲しいと東寺が幕府に願い出ている。同じ年の8月19日東寺領上久世庄名主百姓にあてて秀吉が、信長の朱印が出されたので年貢諸役を東寺へ納めるよう書状をしたためている。(『豊臣秀吉文書集 一』25号文書、10頁)

 

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            「大日本史料」元亀元年4月10日条

 

(端裏書)

           (付箋)

              「ひ 一七五」

 就下久世儀上意へ申状、元亀元」

 

(オモテ)

当寺八幡宮領下久世庄、年中為御神供料所、等持院殿御寄附已来干今無相違之処、明知十兵衛尉方、彼庄一職為上意被仰付由被申、年貢諸(公脱カ)事物等、至干今無寺納候条、御訴訟可申上与存刻、殊ニ来十五日放生会料、従上下庄令沙汰之間、下庄へ申付之処、十兵衛尉一円存之間、雖為本所分、年貢諸公事(物脱カ)等曾以不可致沙汰之由申、不能承引候、既上庄之儀者、厳重依被仰下、無相違神事法会執行、日々抽御祈祷精誠候、然ニ下庄之儀者、如此候へハ、放生会雖可及退転候、天下安全御武運御長久神事儀御座候間、先役者中ニ申付、可致執行存候、殊更自彼下庄、就放生会所出物并懃役等数多在之儀候、大様之儀迄、此度不可致沙汰之由申放候、無勿躰存候、所詮被退彼妨候様ニ、為公儀急度被仰出候様、宜預御披露候、

  元亀元 四月十日        禅我

(折封ウハ書)

松田主計大夫殿

 飯尾右馬助殿」

 

(書き下し文)

 

(端裏書)

「下久世の儀について上意へ申状、元亀元」

 

(オモテ)

当寺八幡宮領下久世庄、年中御神供料所として、等持院殿御寄附以来今に相違なしのところ、明智十兵衛尉方、かの庄一職上意として仰せ付けらるよし申され、年貢諸公事物など、今にいたり寺納なく候条、御訴訟可申し上ぐべしと存ずきざみ、ことに来たる十五日放生会料、上下庄より沙汰せしむるのあいだ、下庄へ申し付けのところ、十兵衛尉一円これを存ずあいだ、本所分たるといえども、年貢諸公事物などかつてもって沙汰いたすべからざるのよし申し、承引あたわず候、すでに上庄の儀は、厳重仰せ下されにより、相違なく神事法会執り行い、日々御祈祷精誠ぬき候、しかるに下庄の儀は、かくのごとく候へば、放生会退転におよぶべく候といえども、天下安全御武運御長久神事の儀ござ候あいだ、まず役者中に申し付け、執り行いいたすべく存じ候、ことさらかの下庄より、放生会について所出物ならびに懃役などあまたこれある儀候、大様の儀まで、このたび沙汰いたすべからざるのよし申し放ち候、勿躰なく存じ候、所詮かの妨げひかれ候ように、公儀として急度被仰せ出され候よう、よろしく御披露に預かるべく候、

 

*申状:訴訟における原告の訴状

 

*宝菩提院:教王護国寺=東寺の塔頭

 

*(上下)久世庄:現在の京都市南区

 

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等持院足利尊氏、暦応2年10月27日足利尊氏御内書の趣旨。

 

*上意:端裏書の「上意」は室町幕府と思われるが、本文中の「上意」は下記「へ函225号文書」によれば信長と解する方が自然であろう。

  cf.藤田達生福島克彦編『明智光秀』348頁の略年譜では

   足利義昭と解釈している。

 

*役者:仏事・神事などを執り行う人

 

*所出物:年貢などの収益。

   

*懃:「勤」

 

*宜:再読文字「よろしく~すべし」まさに、ぜひとも、必ず

 

*所詮:結果として、落ち着くところ

 

*松田主計大夫:松田秀雄室町幕府奉行)

 

*飯尾右馬助:飯尾貞遙(室町幕府奉行)

 

永禄11年信長が上洛したころから光秀の「押領」は続いたようで、信長からの拝領であると主張したようだ(東寺百合文書 へ函225号文書)。

 

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