ファミリーヒストリーで紹介された明治4年6月「拙者附属銃手人員戸数明細書上申候事」を読んでみる。
(横半帳)
(1丁オモテ)
拙者附属銃手人員
戸数明細書上申候事
一、合人数三百八人
内百六拾八(見せ消ち)七人ハ男
百四拾(挿入)壱人ハ女
(中略)
附属銃手
下挫郡荷原村住居
坂本 仁
四十歳
一、三人ハ家族
内壱人ハ男
(中略)
坂本文六七十弐歳
弟同 武七三十九歳
三人ハ女悴ハ亀吉六歳
武七悴同金吉八歳
〆八人
内五人ハ男
三人ハ女
住家(書き下し文)
拙者附属の銃手人員、戸数明細書き上げ申し候こと
一、合わせて人数三百八人
うち百六十七人は男
百四十一人は女
(中略)
附属銃手
下挫郡荷原村住居
坂本 仁
四十歳
一、三人は家族
うち一人は男
(中略)
坂本文六 七十二歳
弟同じく 武七 三十九歳
三人は女、悴は亀吉 六歳
武七悴同じく金吉 八歳
締めて八人
うち五人は男
三人は女
住家
*附属:すでに版籍奉還により土地と人民は天皇に返還しており、主従関係は公的には存在しない。しかし、旧来の家臣団を知藩事の「附属」と呼んでいたようである。
*荷原村:「いないばるむら」現甘木市荷原。三奈木村の北東に位置する。旧高旧領取調帳によれば652石余、福岡藩領
「日本歴史地名大系・福岡県」より
作成年月から見ると明治4年7月14日の廃藩置県のために明治新政府へ提出すべく準備された文書のようだが、これはおそらく下書きかと思われる。
番組の趣旨とは異なることを書いてしまったのではないか、と恐れている。