ある歴史的事象に対して内面的な興味をひきおこすという場合、われわれの最も身近かに感得しうる対象の一つは、ある具体的な個人の伝記であろう(「伝記」に傍点あり)。個人の伝記というものは、社会事象とは異なり、感情移入の切実な点で、われわれをひきつける特殊の能力をもっている。そこで歴史の研究にはいる場合、伝記への興味からはいるということも、たしかにナチュラルな一方法である。
しかし伝記は、一見地所を超越した絶対的興味をふくむがごとくであるが、真に正しくその人の個性と活動の意義を理解するためには、どうしてもその人の生きていた時代の背景を把握しなければならない。(中略)
その時代を具体的に知るという意欲によって、二流、三流の人の伝記にも向けられなければならない。例えば、中世における名もない商人の伝記を断片史料によって再構成してみるというような仕事も、大いに必要なことである。(赤字による強調は引用者)