日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

NHK「歴史秘話ヒストリア」で紹介された偽文書について

 

動画投稿サイトで数年前に放送された番組を見てしまった。画像が不鮮明で読めないため、一字分「?」で記した。

 秀頼の印は大きな円のみで三成の花押のみしっかり書かれていて違和感を覚える文書である。

 

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 石田三成の署名・花押?     石田三成の署名・花押

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  仰被渡候條目之事  
一、今般秀頼公御陣触ニ付諸大名
濃州於関ヶ原関東勢与
及合戦ニ候者、元衆中代々為郷士
山中村二居住之由其地案内之事共
頼存候、尤地之利之義津田???
大谷刑部之両?津出し場所等
宜??可給候合戦勝利之度
恩賞之沙汰之義(闕字)仰被出候者也、
   慶長五年九月
    内大臣
      豊臣秀頼公(朱印)上意
         石田治部少輔三成
           執事(花押)
      山中村郷士衆中
       高木六右衛門とのへ
         喜四郎とのへ
         与左衛門尉とのへ
         又右衛門とのへ
         長十郎とのへ

 

(書き下し文)

 

   仰せ渡され候條目のこと  
ひとつ、今般秀頼公ご陣触につき諸大名、濃州関ヶ原において関東勢と合戦に及び候は、元衆中代々郷士として山中村に居住のよし、その地案内のことども頼み存じ候、もっとも地の利の義津田???大谷刑部の両?津出し場所など、宜??たもうべく候、合戦勝利のたび恩賞沙汰の義仰せ出られ候ものなり、

 

*(朱印):印文、印影ともよみとれず

 

*(花押):三成の花押ではない

 

 

読めない文字が多いので意味は通りにくいと思う。しかし、冒頭から度肝を抜かれる内容が書かれている

 

下線部の西軍諸大名は秀頼みずからの「陣触」により動員されたというのだ。番組はそこをなぜか素通りしてしまったが…

 

 番組では大谷吉継がここに陣を築いたというのだが、それより冒頭が従来の関ヶ原の対立構図を大きく変える点には触れなかった。偽文書らしいとも言わず、秀頼が関ヶ原西軍諸大名を糾合した記述に触れないのは節穴と呼ばれても仕方がなかろう。