番組で上記の文書が出品されたので読んでみる。
増田孝氏(日本古文書学)が「平出」を丁寧に解説されたのだが、画面を見ると「進上」が一字分、上に突き出ている「擡頭」の形式をとっているのではと感じたので、それも含めて読んでみる。
就富永山城守儀
御内書謹而致頂戴候任
上意令入魂候此等之旨
可預御披露候恐惶謹言
十一月五日 大膳大夫隆元(花押)
陸奥守元就(花押)
進上 上野民部太輔殿
(書き下し文)
富永山城守の儀について、御内書謹しんで頂戴いたし候、上意にまかせ入魂せしめ候、これらの旨御披露にあずかるべく候、恐惶謹言、
*披露状:「書札礼(しよさつれい)における書状の一様式。身分のへだたる将軍など貴人に対し,あるいは大名など一国内の絶対者に対し,敬意を表すために書状を直接本人の名あてにせず,その人に近侍する奉行人,用人などにあて,書状の本文内容を取り次ぎ披露することを依頼する形式」(平凡社世界大百科事典)
*富永山城守:富永元安。「大日本史料」天正2年閏11月20日の条「湯原系図」に「湯原元綱母富永山城守元安娘」とある。
*御内書:足利将軍家が発給する私的な書状形式をとった公文書
*大膳大夫隆元:毛利隆元
*上野民部太輔:上野信孝、室町幕府の奉公衆、備中国鬼邑山城主 上野信孝 - Wikipedia