「内府ちがいの条々」は文字通り、各大名に檄を飛ばす檄文である。したがって、各大名家に伝わっているのだが、原本=正本の場合もあれば、写もある。もちろん原本の方が望ましいのだが、写は写で歴史の別の側面を浮かび上がらせることがある。
「日本古文書ユニオンカタログ」で1600年7月17日を検索すると以下の文書がヒットする。
薄い青色で塗りつぶした部分が「内府ちがいの条々」である。また黄色の部分は今回紹介する、「もうひとつの」パターンを特徴とする写である。
6、9号を引用しよう。
6号
内府公ちかい候條々
(本文略)右誓詞之筈、少茂不被相立(闕字)太閤様被背(闕字)御置目候へハ、何を以頼可在之候哉、如此一人宛被果候而之上、(闕字)秀頼様御一人御取置候ハ無事まことしからす也、
9号
内府公ちかひ候條々
(本文略)
右誓詞之筈、少茂不被相立(闕字)太閤様被背御置目候へハ、何を以頼可有之候哉、如此一人宛被果候而之上、(闕字)秀頼様御一人御取立候ハ無事まことをしからす候也、
(書き下し文)
6号
内府公ちかい候條々
(本文略)右誓詞のはず、少しもあい立てられず太閤様御置目に背かれ候えば、何をもって頼みこれあるべく候や、かくのごとく一人ずつ果てられ候ての上、秀頼様御一人お取り置き候は、無事まことしからずなり、
9号
内府公ちかひ候條々
(本文略)
右誓詞のはず、少しもあい立られず太閤様御置目そむかれ候えば、何をもって頼みこれあるべく候や、かくのごとく一人ずつ果られ候てのうえ、秀頼様御一人御取り立て候は、無事まことをしからず候なり、
これらはふだん目にする「内府ちがいの条々」と異なり、「内府公」と敬称が加筆されている。ほかにも秀吉の決めた「置目」に対して敬意を表す闕字の有無も分かれている。
それぞれが写した原本に異同があったことも十分あり得る。近世後期木版刷りで檄文を大量生産できたときとは事情が異なり、すべて人の手による作業だったからだ。
だから闕字の有無にたいした意味はないケースもある。
こういった問題はひとつやふたつの「内府ちがいの条々」だけで立論するのではなく、現在伝わっているすべての「条々」の異同を点検する必要がある。
その場合に大切なのが、原本=正本と写、控え=副本、「土台」「案文」と呼ばれる下書きや草案を厳密に区別することである。下書きであれば見せ消ちにより、何が当初書かれ、何が削除されたかの過程もわかる。
また、古文書を「書状」と呼び、古い文献を「古文書」と呼ぶ、メディアでよく見聞きする誤用は避けたい。