日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

文禄4年12月吉日長田右衛門丞宛宇喜多秀家黒印状を読む

このようなTLが流れてきた。

 

ここでこのポスターにある宇喜多秀家黒印状を読んでみたい。

 

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   西大寺領之事
              上東郡
一、高五拾石也         西大寺
     弐石ハ        屋敷定米
右内
     四拾八石ハ      田畠


右如書付之田畠之上中下を引合西大寺
願へ可相渡、然者代官高内引ニ相残以
高辻可遂算用者也
  文禄四年
   十二月吉日(秀家黒印) 長田右衛門丞
                   とのへ

 

(書き下し文)

    西大寺領のこと
              
一、高五拾石なり     上道郡西大寺のうち
     
右のうち二石は屋敷定米、四十八石は田畠


右、書付のごとく田畠の上中下を引き合い、西大寺
願へあい渡すべし、しからば代官高内引にあい残し、
高辻をもって算用を遂ぐべきものなり
  文禄四年
   十二月吉日(秀家黒印) 長田右衛門丞
                   とのへ

 

*上東郡:備前国上道郡。

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国史大辞典」より作成

 

西大寺西大寺村、寛永頃の村高は1454石余。

 

*本願:本願主のことで、寺院・仏像などを創立し、法会を執行する発起人の意。

 

*高辻:「辻」は合計の意。高辻は年貢として納めるべき米の合計高。

 

*長田右衛門丞:本文中にある「代官」のひとりか。

 

(大意)

   西大寺領のことは以下の通りとする
              
ひとつ高五拾石とする。それは上道郡西大寺村のうちからとする。     
50石のうちわけは、2石は屋敷、48石は田畠である。


右、この書面の通り田畠の上中下を精算し、差し引きした上で、西大寺本願へ50石渡しなさい。そして代官はこの50石を残した年貢米合計を納めさせなさい。

 

 

この文書は花押すらなく、黒印を据えただけの非常に簡単な形式なもので、しかも宛所はずっと下の方にあり、敬称は「とのへ」で薄礼化された文書である。

 

また、切紙をさらに裁断した跡も見える。大きさが写真だけではわからないのでなんともいえないが、折紙などのような上等なものではなさそうだ。