このようなTLが流れてきた。
特別陳列「西大寺文書の世界」岡山県立博物館、3/16~4/15〈西大寺(岡山市東区)に伝えられてきた貴重な古文書を中心に展示し、そこから見えてくる岡山の中世の歴史について紹介/同時開催「仏像〜平安から江戸時代まで(1)」ほか〉 https://t.co/hpE7z2ee6A pic.twitter.com/Km2XEuj8OH
— 高なしかずきよ (@nashikiyo) 2018年3月3日
ここでこのポスターにある宇喜多秀家黒印状を読んでみたい。
西大寺領之事
上東郡
一、高五拾石也 西大寺内
弐石ハ 屋敷定米
右内
四拾八石ハ 田畠
右如書付之田畠之上中下を引合西大寺本
願へ可相渡、然者代官高内引ニ相残以
高辻可遂算用者也
文禄四年
十二月吉日(秀家黒印) 長田右衛門丞
とのへ
(書き下し文)
西大寺領のこと
一、高五拾石なり 上道郡西大寺のうち
右のうち二石は屋敷定米、四十八石は田畠
右、書付のごとく田畠の上中下を引き合い、西大寺本
願へあい渡すべし、しからば代官高内引にあい残し、
高辻をもって算用を遂ぐべきものなり
文禄四年
十二月吉日(秀家黒印) 長田右衛門丞
とのへ
*上東郡:備前国上道郡。
「国史大辞典」より作成
*本願:本願主のことで、寺院・仏像などを創立し、法会を執行する発起人の意。
*高辻:「辻」は合計の意。高辻は年貢として納めるべき米の合計高。
*長田右衛門丞:本文中にある「代官」のひとりか。
(大意)
西大寺領のことは以下の通りとする
ひとつ高五拾石とする。それは上道郡西大寺村のうちからとする。
50石のうちわけは、2石は屋敷、48石は田畠である。
右、この書面の通り田畠の上中下を精算し、差し引きした上で、西大寺本願へ50石渡しなさい。そして代官はこの50石を残した年貢米合計を納めさせなさい。
この文書は花押すらなく、黒印を据えただけの非常に簡単な形式なもので、しかも宛所はずっと下の方にあり、敬称は「とのへ」で薄礼化された文書である。
また、切紙をさらに裁断した跡も見える。大きさが写真だけではわからないのでなんともいえないが、折紙などのような上等なものではなさそうだ。