ブログ主は書道のたしなみがまったくないので、文字の美醜を判断することは出来ない。したがって「達筆」という語彙を持たない。しかし、読みやすい文字とそうでない文字は歴然としてある。ただし、読みやすい、読みにくいの基準もひとそれぞれだ。
また習熟度もひとそれぞれなので、いわゆる「やさしい/むずかしい」の尺度があるかといえば、それまたむずかしい。
この2種類の評価軸は次元がまったく異なるので区別する必要がある。
時代により、地方により、身分の違いにより、また公的なものと私的なものにより字体は異なるが、一方で統一性も感じられる。
卒論を書いていたさい、X村の百姓Qが書く文書だけ独特のくせ字で閉口したことはあるが、馴れると読めるようになった。今でもあれほどの悪筆は珍しいと思う。村ではトラブルメーカー扱いされていたが、ひょっとすると村役人にはふさわしくない悪筆が、年貢納入事務の「不正」とみなされた可能性もある?・・・
そう考えたい・・・?
ブログのネタになりそう・・・?
でも筆写原稿はどこにあるだろう・・・?
筆写じゃ「悪筆」を実証できない・・・?
マイクロフィルムは研究室・・・?
文書を見せてくださった方のご先祖の毀誉褒貶になる?
お付き合いは絶縁・・・?
まあ卒業がかかっていたから火事場のナントカかもしれないが。
ただ、とぼしい経験からいえば明治以降に書かれた文字は非常に読みにくい。まあこれは誰もがそう思っていることだろう、理由は謎だが。戦国期に旅立つ前に明治期以降の文書を見るのは避けた方がよい。