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日本中近世史史料講読で可をとろう

永禄10年11月制札 三好義継、松永久秀・久通父子発給禁制を読む

多聞院日記永禄10年11月27日の条に、三好義継、松永久秀・久通父子発給の2通の禁制が見える。

 

 

制札之写
  禁制
一、 春日社山内諸屋乱妨強盗事、
一、 於山内甲乙人剥取事、付自寺内至社領并野田高畠出入違乱事、
一、 神鹿致害山木材(伐)用事、
右条々令停止訖、若有違犯之輩者、速可處厳科者也、仍下知件如、
  永禄十年十一月日

       左京大夫 在判
     以上一枚、
又文言同上、        

       右衛門佐 判     

       弾正少弼 判
     以上一枚、

(書き出し文)

ひとつ、春日社山内諸屋に乱妨・強盗のこと、
ひとつ、山内において甲乙人剥ぎ取ること、つけたり寺内より社領ならびに野田・高畠にいたり出入違乱のこと、
ひとつ、神鹿害いたし、山木伐り用いること、
右の条々停止せしめおわんぬ、もし有違犯の輩あらば、速やかに厳科に処すべきものなり、よって下知くだんのごとし、

(大意)


ひとつ、春日大社の境内および建物などで乱妨、強盗をはたらくこと。
ひとつ、境内において誰であろうと追い剥ぎすること。つけたし、寺の建物内から春日大社領、さらには野田、高畠にいたるまで不届きなことやもめ事を起こすこと。
ひとつ、神鹿に手を出したり、竹木を刈り取ること。
以上の行為は禁止した。もしこれに背く者を見つけた場合は、速やかに厳罰に処する。以上が命令の趣旨である。

 


*「自寺内至社領并野田高畠」:道路工事現場の看板に「自○○至××」と工期が書かれている(○○より××にいたる)。行政などでは今もよく使われている表現法。イベントのポスターにある「於武道館」も正確には「武道館において」と読む。「自」=from、sinceなど、「至」=toなど、「於」=at、@などのように記号として覚えていてもまったく問題ないが・・・。

 

*野田・高畠:地名と思われるが、現在は使われていないらしい。

*出入:「でいり」、最近、人の移動を「ではいり」、金銭出納関係では「でいり」と使い分けているが、この頃は「デイリ」


「日葡辞書」には


Deiri
(デイリ)入ることと出ること、往来する、出たり入ったりする
Fitonou iyeni deiriuo suru   

人の家に出入りをする
人の家に繁々と通う、あるいはひっきりなしに行く
→Iricumi
(183頁)

 

Iricumi.l.deiri 
(イリクミまたはデイリ) 入組み、出入、未解決のもめ事や事件
Chiguioǔno  iricumi (知行の入組み) 


所領や知行に関する紛争、または訴訟
(340頁)

 

*神鹿:「しんろく」神の使いとして神社で飼う鹿。この文書のとおり春日社が有名。禁じなければならないほど鹿を狩猟していた人々がいることを物語る。

 

*「左京大夫 在判」:左京大夫の花押があったことを示している。左京大夫は永禄年間数人いるが、ここは三好義継。


*「又文言同上」:「同文のものがもう一枚ある」の意。

 

*右衛門佐:松永久通


弾正少弼松永久秀


こちらの禁制は松永久秀、久通父子の連署で掲示されたことがわかる。都合2通の禁制が出されたようだ。
この禁制はただで出されたわけでないらしく、同日の条に「山内制札調(ととの)い候あいだ、取りにこれを遣わし、樽代持ち遣わす」とある。樽代はご祝儀の酒代として渡す金銭のことで、「樽代」=「禁制2枚」が相場だったようだ。松永父子と三好義継の双方への樽代はコストも2倍になる。それだけ強力な保障になったのか、所領が複雑に入り組んでいたのか、それともこの両勢力が反目しており、どちらに転んでもいいようにしたのか、複雑でよくわからない。