日本の紀年法は年号および干支で表すのが習わしである。たとえば「丙午」(ひのえうま)が高度経済成長期に意識されていたことは出生数の大幅な減少によっても確認できる。
前後で50万人近く、比率では130/180=72.2%で、4分の1減少するほどの影響を与えていた。
日本の元号で、還暦を迎えたことのあるものは唯一「昭和」のみである。
「明治戊辰」のように干支と元号だけで数字を使わず一義的に対応していた関係が崩れたのは、2回目の「昭和丙寅」を迎えたときだ。
丙寅(ひのえとら、へいいん)
=大正15年 ・・・①
昭和1年 ・・・②
昭和61年 ・・・③
①と②は元号が異なるので区別できる。問題は②と③である。
どちらも昭和であり、丙寅なので、元号と干支だけでは判断できない。
干支は60進法による紀年法で、時期をいくらでも遡れるし、未来のことも記述可能だ。
よく見る「平成30年=昭和93年」式の換算法はいかにも高度経済成長期的で、長期的には簡便な方法とはいえない。致命的なことに時期を遡ることもできなければ、未来形にも向かない、紀年法としての根本条件を満たしていないのである。短期的には便利でも、中長期的には役立たない。
以下の記事で紹介した方法が由緒正しき紀年法である。