日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

伊賀惣國一揆掟書案を読む その4

  (7条)
一、当國之諸侍、又ハあしかる二不寄、三好方へ奉公被出間敷候事、

 

  (8条)
一、國之弓矢判状送リ候二、無承引仁躰候者、親子兄弟をかきり、拾ケ年弓矢之用に立申間敷候、同一夜之やと(宿),おくりむかい共あるましく候事、
   


(書き下し文)

ひとつ、当國の諸侍、または足軽によらず、三好方へ奉公出らるまじく候こと、

 


ひとつ、國の弓矢判状送り候に、承引なく仁躰候者、親子兄弟を限り、十箇年弓矢の用に立て申すまじく候、同じく一夜の宿,送り迎えともあるまじく候こと、

 



(大意)

ひとつ、当伊賀国の者のうち、侍、足軽の身分を問わず、三好家およびその家臣に奉公してはならない。

 


ひとつ、伊賀惣国が兵士として徴発したのに、したがわない者については、親子・兄弟にかぎり、十年間兵士として用いてはならない。同様に一晩の宿も貸さないこと,またその者の身を守ってもならない。

 

 

 

*三好方:三好家およびその家臣筋


*弓矢:「きゅうし」弓箭(きゅうぜん)ともいう。合戦のこと。「國の弓矢判状」で伊賀惣国が兵士として徴発すること。


*承引なく仁躰候者:兵士の召し状を拒否すること。


*親子兄弟を限り、十箇年弓矢の用に立て申すまじく候:一人が罪を問われると親類、縁者に累が及ぶ。これを「連座」といい古今東西に見られる現象である。ここでは無限に続きかねない連座の適用範囲を「親子兄弟」までとし、それ以上の遠戚の者は罪に問わないと定めている。そして、その処罰は10年間の兵役免除である。次項のような村八分的制裁がともなっていたと推測されるので、事実上追放刑に等しい。

 

*送り迎え:日葡辞書に「Vocuri mucai no buxi ヲクリムカイノブシ (送り迎えの武士)人を警護しながら、同行して送ったり、迎えに行ったりする役を勤める武士」(『邦訳日葡辞書』701頁)とあるので、送り迎えには警護する、武装するという意味があったようだ。

 

第8条に見えるように、伊賀惣国が兵士として召集しても、現実には拒否する者もいたようで、10年間の制裁が科された。ただし、連座の適用は親子、兄弟までとし、おじやおば、いとこなどまで追及することは禁じられたようだが、現実にはどうだったか。