定
一、御舟登候跡ニ而打遁口論致間鋪候事、
一、運上小家火之許大切可為用心事、
一、松前他国不限流船等支配之場所江流着候ハヽ早速夷船摘出舟頭水主どもニ右之書附相見セ候上ニ而可為介抱事、
一、右流人村々欠(=次:継紙の貼付面により不明瞭)送りにいたし早速松前表迄送届ケ可申事、
右之條々津々浦々まで堅可相守者也、万一於相背者急度可行御法者也、仍而如件、
蝦夷地
安永七戊戌年 奉行
七月日
めつ金殿
しよんごおとな
(書き下し文)
定
ひとつ、 御舟登り候あとにて打ち遁がれ口論いたすまじく候こと、
ひとつ、 運上小屋、火もと大切に用心たるべきこと、
ひとつ、 松前・他国にかぎらず流船など支配の場所へ流れ着き候はば、早速夷船摘まみ出し舟頭・水主どもに右の書附あい見せ候うえにて介抱なすべきこと
ひとつ、 右流人、村々継ぎ送りにいたし早速松前表まで送り届け申すべきこと、
右の條々、津々浦々までかたくあい守るべきものなり、万一あい背くにおいては急度御法行わるべきものなり、よってくだんのごとし、
*支配の場所:蝦夷地奉行の管轄内
*夷船:外国、とくに西洋の船。
*摘出:乱暴に取り除くこと。
*介抱:ここでは怪我人などを助けるという通常の意だが、幕府の蝦夷交易のことも「介抱」という。御救交易ともいう。蝦夷を介抱するという意味であるが、実際には与えるところが少なく、得るところが大だったという。(日本国語大辞典)
*村々次送り:駅伝のように村ごとに報告すること。
*御法行わる:法度通り処分する。
* おとな:「乙名」有力者。
「蝦夷地奉行」という役職は享和年間の成立とされているので、この「蝦夷地 奉行」を蝦夷地奉行という役職ととるか、「蝦夷地を管掌する奉行」という意味かの判断は措くとする。
東京大学史料編纂所データベース「大日本史料総合データベース」に
以下の記述がある。
享和2年2月23日2条
【綱文】 幕府蝦夷地用掛立花種周・松平忠明・石川忠房、罷む、小納戸頭取戸川安倫・目付羽太正養を以て、蝦夷奉行と為す、尋て改て箱館奉行と称す、