東京大学史料編纂所「日本古文書ユニオンカタログ」「古文書フルテキストデータベース」「大日本史料総合データベース」「近世編年データベース」「維新史料綱要データベース」「近世史編纂支援データベース」で弘化年間の西郷吉之助文書を検索したが見つけられなかった。そこでここで書き起こしてみる。
(乍恐以書付奉願上候)
此侭ニ而者早晩百姓悉根絶者必定ニ候、日々之糧ニ茂事欠候而、如何ニ出精働候得共重キ年貢納候事不能候、其故ニ娘ヲ売候者茂有之候、田畑ヲ捨逃散百姓茂数多有(之脱ヵ)候、
(書き出し文)
このままにては早晩百姓ことごとく根絶するは必定に候、日々の糧にも事欠き候て、いかに出精働きそうらえども、重き年貢納め候ことあたわず候、そのゆえに娘を売り候者もこれあり候、田畑を捨て逃散する百姓もあまたあり候、
おまけ
1.調所広郷の「大働き」
藩の財政を立て直すため、1827年に500万両の負債を無利子250ヵ年賦としたことは高校の教科書にも載っている。250年後というと2076年頃になる。まだ60年近く先のことだ。
2.「満佐」ではなく 「まさ」では?
「由羅」も同断 「ゆら」?
3.隠田 おんでん/かくしだ:戦国大名も隠田摘発を目的として検地を行ったように(「おんな城主直虎」の隠し里も同様)、律令制施行以降しばしば見られる現象。