日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

「西郷どん(2)立派なお侍」の西郷吉之助嘆願書を書き起こしてみる

東京大学史料編纂所「日本古文書ユニオンカタログ」「古文書フルテキストデータベース」「大日本史料総合データベース」「近世編年データベース」「維新史料綱要データベース」「近世史編纂支援データベース」で弘化年間の西郷吉之助文書を検索したが見つけられなかった。そこでここで書き起こしてみる。

 

  (乍恐以書付奉願上候)

 

此侭ニ而者早晩百姓悉根絶者必定ニ候、日々之糧ニ茂事欠候而、如何ニ出精働候得共重キ年貢納候事不能候、其故ニ娘ヲ売候者茂有之候、田畑ヲ捨逃散百姓茂数多有(之脱ヵ)候、

 

(書き出し文)

このままにては早晩百姓ことごとく根絶するは必定に候、日々の糧にも事欠き候て、いかに出精働きそうらえども、重き年貢納め候ことあたわず候、そのゆえに娘を売り候者もこれあり候、田畑を捨て逃散する百姓もあまたあり候、

 

 

 

おまけ

1.調所広郷の「大働き」

藩の財政を立て直すため、1827年に500万両の負債を無利子250ヵ年賦としたことは高校の教科書にも載っている。250年後というと2076年頃になる。まだ60年近く先のことだ。

 

2.「満佐」ではなくf:id:x4090x:20180114194655g:plainf:id:x4090x:20180114194711g:plain 「まさ」では?

 「由羅」も同断 f:id:x4090x:20180114194740g:plainf:id:x4090x:20180114194758g:plain 「ゆら」?

 

3.隠田 おんでん/かくしだ:戦国大名も隠田摘発を目的として検地を行ったように(「おんな城主直虎」の隠し里も同様)、律令制施行以降しばしば見られる現象。