日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

「バブリー!」 年末ジャンボ宝くじのCMに見る史料用語と歴史学概念の混同

本記事では下記のCMから、史料用語と歴史学概念の混同の問題について考えてみたい。

 

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当記事ではその時代に使われていた言葉を「史料用語」(正確には史料上に見える用語というべきだが、煩雑なので史料用語とした)、のちにその時代を理解する鍵となる概念=専門用語を「歴史学概念」と定義する。

 

 

平野ノラの「バブリー」というセリフは後者の歴史学概念に相当する。1980年代後半当時「バブリー」などと言っていた人はまずいない。これは80年代後半を再現しているのではなく、バブルがはじけ、あの頃を「バブル期」と呼ぶ共通認識が成立したかなりあとの「ネタ」である。

 

 

バブルとはシャボン玉のように儚いものであり、日本語では「うたかた」「泡沫」という意味である。80年代当時は地価が下がるなどとは誰も思わなかったし(土地神話)、この好景気は半ば永遠に続くと思われていた。したがって当時の人がこの現象を「泡」と認識してはいなかったはずだ。バブル崩壊後、あの頃を顧みた結果「泡のようにとてもはかなく、膨れればやがて破裂するは必定」ということから後世名付けられた歴史学概念である。

 

平野ノラのセリフを見て、1980年代後半はああいうものだったと思っていけない。

 

しかし、「わかりやすさ」という点での訴求力はあるだろう。自身の記憶も「ああいうものだったかな」とすり替わってしまうことも十分あり得る。

 

1980年代を舞台にしたドラマが最近よくつくられる。その代表作が「沈まぬ太陽」であろう。しかし、あきらかにその頃にはなかったものが紛れ込んでいることがある。

 

和文タイプライターで浄書する時代だったことが欠落しているのだ。時代考証を突き詰めればかえって、理解しにくいこともあるだろう。とくにセリフはそうである。逆にその頃まだ登場していなかった言葉が、入り込んでしまった例もある。2000年代中頃から、割り込むことを「横入りする」というケースが増えているが、それ以前の時代のドラマに使われてしまったことがある。

 

アイドルグループの中心に位置することを「センター」と呼ぶようになったのも2000年代からだと思う。キャンディーズの時代は「真ん中」だった。伊藤蘭が最も多かったと思うが、初期は田中好子が多かったように記憶している。解散が近くなると藤村美紀が「真ん中」に立つことが増えた。キャンディーズに「センター」という言い方は似合わない。個人の趣味の話に過ぎないが・・・。