本記事では下記のCMから、史料用語と歴史学概念の混同の問題について考えてみたい。
当記事ではその時代に使われていた言葉を「史料用語」(正確には史料上に見える用語というべきだが、煩雑なので史料用語とした)、のちにその時代を理解する鍵となる概念=専門用語を「歴史学概念」と定義する。
平野ノラの「バブリー」というセリフは後者の歴史学概念に相当する。1980年代後半当時「バブリー」などと言っていた人はまずいない。これは80年代後半を再現しているのではなく、バブルがはじけ、あの頃を「バブル期」と呼ぶ共通認識が成立したかなりあとの「ネタ」である。
バブルとはシャボン玉のように儚いものであり、日本語では「うたかた」「泡沫」という意味である。80年代当時は地価が下がるなどとは誰も思わなかったし(土地神話)、この好景気は半ば永遠に続くと思われていた。したがって当時の人がこの現象を「泡」と認識してはいなかったはずだ。バブル崩壊後、あの頃を顧みた結果「泡のようにとてもはかなく、膨れればやがて破裂するは必定」ということから後世名付けられた歴史学概念である。
平野ノラのセリフを見て、1980年代後半はああいうものだったと思っていけない。
しかし、「わかりやすさ」という点での訴求力はあるだろう。自身の記憶も「ああいうものだったかな」とすり替わってしまうことも十分あり得る。
1980年代を舞台にしたドラマが最近よくつくられる。その代表作が「沈まぬ太陽」であろう。しかし、あきらかにその頃にはなかったものが紛れ込んでいることがある。
和文タイプライターで浄書する時代だったことが欠落しているのだ。時代考証を突き詰めればかえって、理解しにくいこともあるだろう。とくにセリフはそうである。逆にその頃まだ登場していなかった言葉が、入り込んでしまった例もある。2000年代中頃から、割り込むことを「横入りする」というケースが増えているが、それ以前の時代のドラマに使われてしまったことがある。
アイドルグループの中心に位置することを「センター」と呼ぶようになったのも2000年代からだと思う。キャンディーズの時代は「真ん中」だった。伊藤蘭が最も多かったと思うが、初期は田中好子が多かったように記憶している。解散が近くなると藤村美紀が「真ん中」に立つことが増えた。キャンディーズに「センター」という言い方は似合わない。個人の趣味の話に過ぎないが・・・。