日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

浅田金兵衛について

前回「浅田家文書」とのみ記した。

japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com

発給人、請取人は文書(もんじょ)を構成する4要素のうち半分を占めるのでこれに触れないと正確な解釈には遠く及ばない。

ところでこの文書群を分析した論文がすでに公にされている。

巻島 隆「近世中期における津藩の飛脚制度 : 山城国西法花野村庄屋、浅田家「飛脚帳」の検討」(2014年、『郵政博物館研究紀要. 平成25年度(5)』)

国立国会図書館デジタルコレクション - 近世中期における津藩の飛脚制度 : 山城国西法花野村庄屋、浅田家「飛脚帳」の検討

 

巻島氏によれば「浅田家とは、山城国相楽郡西法花野(にしほうけの)村の庄屋を務め、また狛四ケ村(東法花野村、野日代村、新在家村)の大庄屋を務めた豪農」であり、「当主の浅田金兵衛は、同藩(引用者註:伊勢国の津藩、藤堂家)「御用村送飛脚取次役」を務めた」(16頁)。

 

また同論文中「有名な赤穂事件の発端となった江戸城松の大廊下刃傷沙汰を報せる書状が飛脚によって届けられた。元禄14年(1701)3月19日に「一 去ル十四日於江戸御城吉良上野介殿を浅野内匠頭殿被刃傷候之義御飛脚便ニ相聞候事」と記される」(28頁)とあり、浅田家は相当の情報通だったようだ。

 

「浅田金兵衛」だけでは探しようがないかに見えたが、さいわい検索ですぐに見つかった。よほどの有名人らしい。ふつうこのようなことはまずないのだが…。

 

所蔵先は東京大学経済学部、経済学図書館・経済学部資料室の目録には以下の記載がある。

 

 21090 浅田孫之進 →浅田金兵衛 (元禄15)年12月16日
平兵衛殿無事…津軽郡中不作 吉良上野介殿屋鋪… <1702> [L/292/36]

 

浅田家文書目録検索はこちら

Asadake Monjo Kensaku

 

また同館所蔵文書全体についてはこちら

 http://www.lib.e.u-tokyo.ac.jp/

目録請求番号<21090>を入れると、以下のような結果が出る。

 

検索結果

1史料について2行(時により3行)で次の項目が出力されます。
     史料番号   表題                         作成年次
       内容                   [分類番号]
史料番号が 1から3700までは史料の形態が冊子になっているものです。
          10001から25000までは一紙ものです。

1 件が検索されました

21090 浅田孫之進 →浅田金兵衛 (元禄15)年12月16日 平兵衛殿無事…津軽郡中不作 吉良上野介殿屋鋪… <1702> [L/292/36]

 

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