こういう西日本新聞の記事を目にした。
「これ『江戸時代』じゃなくて『桃山時代』じゃない?」「発表資料には『江戸時代』としているけど…」 - 西日本新聞
「某展覧会」とはおそらく九州国立博物館の「新・桃山展」と思われる。
この「同僚とのやりとり」の対象はおそらく84番の「黒織部沓形茶碗 銘 わらや」ではないだろうか。
出品目録はこちら
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/s_49/exhibition_s49.pdf
それはともかく、記事の先を読むと1600年を境にするか1603年とするかが問題だったようだ。結局近世で落ち着いたそうだが、さらに読み進めると年号の話題に突如変わってしまう。
時代区分の話にしては短すぎたためだろうが、なんとも一貫性のない展開だ。最初は首都の所在地を、つづいて西暦での話に、最後に年号と時代区分の基準が変わってしまうからだ。
関ヶ原合戦は慶長5年の出来事であり、家康が征夷大将軍に任官されるのは慶長8年だ。つまり同じ慶長年間の出来事と考えれば、問題ない。