アシガール第9話では「永禄3年3月19日」付の書状が登場する。永禄3年といえばおそらく多くの人は桶狭間合戦を思い出すに違いない。自分もこの場面を見たとき、恥ずかしながらそれしか思い浮かばなかった。
試しに永禄3年の出来事を東京大学史料編纂所の「大日本史料総合データベース」で検索してみると482件ヒットした。するといろいろと興味深い出来事が見られる。たとえば、今川氏真が桶狭間合戦以前から知行宛行、安堵など戦国大名として振る舞っており、従五位下まで与えられているなど、すでに義元から家督を譲られているのではと思われることだ。戦国大名研究ではすでに常識なのだろうが、自分で歴史を再構築する醍醐味を味合わせてくれるデータベースといえる。
さて「1月是月」に少々興味深い史料があった。室町幕府とキリスト教布教に関するものだ。
東京大学史料編纂所データベース選択画面はこちら
http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
室町御内書按
禁制 機利紫旦国僧
波阿伝連
一、甲乙人等乱入狼藉之事、
一、寄宿事 付悪口之事、
一、相懸非分課役事、
右条々堅被停止訖、若違犯輩者、速可被処罪科之由、所被仰下也、仍下知如件、
永禄三年
九衛門尉藤原
(書き下し文)
ひとつ、甲乙人等乱入狼藉の事、
ひとつ、寄宿の事 付けたり悪口(あっこう)の事、
ひとつ、非分の課役をあい懸くる事、
右の条々堅く停止せられおわんぬ、もし違犯の輩は、速やかに罪科に処せらるべきの由、仰せ下さるところなり、よって下知くだんのごとし、
*機利紫旦国僧:キリシタン国の僧。
*悪口:御成敗式目では「悪口」は「闘殺之基」と考えられ重い場合は流罪とされた。これは戦国期の分国法にも見られる中世の慣習である。
*非分課役:正当な理由のない年貢、公事、夫役そのほか。
*仍下知如件:桑山公然氏はこのような幕府奉行人二、三名による連署状を「室町幕府奉行人奉書」と呼ぶ(桑山「室町幕府奉行人奉書」『国史大辞典』)。しかし、桑山氏は書き止め文言が「執達如件」とするがここでは「下知如件」で異なる。いずれにしろ発給人が室町将軍そのひとではなく家臣であることから、奉書形式であること、つまりより上位の人間の意思を家臣を通して間接的に伝える形式であることは間違いない。御内書は将軍の花押のみが据えられた、薄礼ではあるが直状形式(直接文書のやりとりを行う形式)をとるのに対して、奉書はさらに薄礼化したものである。参考:佐藤進一『古文書学入門』1971年、法政大学出版局(その後改訂版が出ている)
*九衛門尉藤原:「九郎左衛門尉」を名乗った室町幕府奉行人のひとり松田頼隆か。
*対馬守平朝臣:「対馬守」を名乗った幕府奉行人のひとり松田盛秀か。
この禁制は戦国大名が郷村や寺社に発給するものとほぼ同じ内容である。つまり、幕府がキリスト教布教活動にあたり、(1)だれも布教しているところへ乱入したり、乱暴をはたらくこと、(2)寄宿を断ったり、また彼らに暴言を吐くこと、(3)正当な理由のない金銭的、物質的、労務的な諸役を課すことを禁じ、彼らを保護するという文書である。幕府により安全に布教活動を行えることが保証された。
ここから、バテレンたちが室町幕府という「公的」権力によって保証されていたと考えることができるし、逆に幕府側がこの文書を発給することで幕府権力がいまだ健在であることを示したということもまた可能であろう。
書き止め文言についてこだわりすぎたが、最近テレビで観応の擾乱を取り上げた際「仍執達如件」という文言が原文書とともにクローズアップされた。これは完全に古文書学の様式論である。