日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの古文書オタ、いえ歴史学徒として史料を読んでいきます

秀吉の検地に懸ける意気込み 「一郷も二郷も撫で切りにせよ」 その2/止

今回は有名な天正18年8月12日浅野長政豊臣秀吉朱印状を読む。

 

  尚以、此趣其口へ相動衆、不残念を入可申届候、返事同前ニ可申上候也、

態被仰遣候、

一、去九月至干会津、被移御座、御置目等被仰付、其上検地之儀、会津中納言、白川同其近辺之儀者、備前宰相ニ被仰付候事、

一、其元検地之儀、一昨日如被仰出候、斗代等之儀、任御朱印之旨、何も所々、いかにも入念可申付候、若そさうニ仕候ハゝ、各可為落度候事、

一、山形出羽守、并伊達妻子、早京都へ差上候、右両人之外、国人妻子事、何も進上申族者、一廉尤可被思召候、無左ものハ、会津へ可差越由、可申付事、

一、被仰出候趣、国人并百姓共合点行候様ニ、能々可申聞候、自然不相届覚悟之輩於在之者、城主ニて候ハゝ、其者城へ追入、各相談、一人も不残置、なてきりニ可申付候、百姓以下ニ至るまて、不相届ニ付てハ、一郷も二郷も、悉なてきり可仕候、六十余州堅被仰付、出羽奥州迄そさうニハさせらる間敷候、たとへ亡所ニ成候ても不苦候間、可得其意候、山のおく、海ハろかいのつゝき候迄、可入念事専一候、自然各於退屈者、関白殿御自身被成御座候ても、可被仰付候、急与此返事可然候也、

   八月十二日(秀吉朱印)

  浅野弾正少弼とのへ

 

    『大日本古文書 浅野家文書』81~82頁 

 

(書き下し文)

  

わざわざ仰せ遣わされ候、

一、去る九月会津にいたり、御座移られ、御置目など仰せ付けられ、その上検地の儀、会津中納言、白川同じくその近辺の儀は、備前宰相に仰せ付けられ候こと、

一、そこもと検地の儀、一昨日仰せ出だされ候ごとく、斗代などの儀、御朱印の旨にまかせ、何れも所々、いかにも入念申し付くべく候、もしそさうにつかまつり候わば、おのおの落度たるべく候こと、

一、山形出羽守、ならび伊達妻子、早く京都へ差し上げ候、右両人の外、国人妻子の事、何れも進上申す族は、一廉もっとも思し召めらるべく候、さなきものは、会津へ差し越すべき由、申し付くべき事、

一、仰せ出だされ候趣、国人ならび百姓ども合点行き候ように、よくよく申し聞くべく候、自然あい届ざる覚悟の輩これあるにおいては、城主にて候わば、その者城へ追い入れ、おのおのあいかたらい、一人も残し置かず、なてぎりに申し付くべく候、百姓以下に至るまで、あい届かざるについては、一郷も二郷も、ことごとくなてぎり仕るべく候、六十余州堅く仰せ付けられ、出羽奥州までそさうにはさせらるまじく候、たとえ亡所になり候ても苦しからず候間、その意をうべく候、山のおく、海はろかいのつづき候まで、念を入るべき事専一に候、自然おのおの退屈においては、関白殿御自身御座なられ候ても、仰せ付けらるべく候、きっとこの返事然るべく候なり、

 

(文頭の追伸部分へ)

なおもって、この趣その口へ相動く衆、残らず念を入れ申し届くべく候、返事同前に申し上ぐべく候なり、

 

 

中納言豊臣秀次

*白川:陸奥国白川郡。現在の福島県南部。

備前宰相:宇喜多秀家。「宰相」は参議の唐名

*其元:浅野長政

*一昨日如被仰出候、斗代等之儀、任御朱印之旨:8月9日「奥州会津御検地条々」写(一柳文書)の趣旨。

 

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*そさう:訴訟。不満を言うこと。

*山形出羽守并伊達妻子:最上義光伊達政宗の妻子。つまり人質。

*自然:万が一の意。

*相談:「あいかたらう」で味方につけて、の意。

*ろかい:漢字では「櫓櫂」。舟を漕ぐ「艪」と「櫂」。

*退屈:なすべきことをしないこと。

*関白殿御自身被成御座:関白は豊臣秀吉を指す。「御自身」「被成御座」と自分自身に対して尊敬を表している。「被」は尊敬の助動詞「らる」。

*浅野弾正少弼浅野長政

 

 

(大意)

そのためだけに仰せ遣わします。

一、去る九月会津にいたり、御座所を移られ、御置目など仰せ付けられ、その上検地について、会津豊臣秀次、白川郡やその近辺は、宇喜多秀家に命じられましたこと、

一、おまえの検地は、一昨日に仰せの通り、斗代などは朱印状にある通り、どれもその土地その土地、入念に検地を行いなさい。もし不満を言う者が現れたならば、検地担当者の落ち度とすること。

一、最上義光および伊達正宗の妻子、早々に京都へ差し上げました。この両人のほかに、国人の妻子を人質とすることは、一層感心なことに思われるでしょう。そうでない場合は、会津へ連れ出すと命令すること。

一、仰せになった趣旨を、国人ならび百姓どもに合点が行くよう、よくよく聞かせなさい。万一こちらの趣旨を理解しない心の準備ができている者どもがいたならば、城主である場合は城へ追い込み、それぞれ合力し、一人も残さず、なてぎりにしなさい。百姓以下の身分の者どもまで、理解しない場合は、一郷も二郷も、ことごとくなてぎりにしなさい。全国六十余州しっかりと命令し、出羽や奥州まで不満を申す者のいないようにしなさい。たとえ亡所になっても構わないので、説得させなさい。山はいかなる山奥でも、海は櫓櫂で舟が漕げるところまで、入念に行いなさい。万一それぞれが務めを果たさない場合は、関白殿御自身がお出ましになってでも、仰せになるでしょう。必ずこの朱印状への返事を怠らないこと。

 

(文頭の追伸部分へ)

なお、この趣旨をはじめに働く衆まで、残らず念を入れて申し聞かせなさい。この返事も同様に上申すること。

 

 この文書から漂うのは秀吉の尊大さである。「関白殿御自身」をはじめ自身への尊敬表現がやたら鼻につく。あととにかくくどい。

 

全国どこまでも秀吉の意に背く者は決して許さない。たとえ荒野が広がろうとも、城ごと、郷村ごと撫で切りにするという意思がひしひしと伝わってくる。