2017年10月26日、秀吉発給文書新発見のニュースが飛び込んできた。本能寺の変から2ヶ月後の京都支配に関するものだという。
そこでここで読んでみることにした。
ところで信長を「上様」と呼ぶことについてはすでに当ブログでも採り上げ、「上意」「御入洛」といった貴人を指す言葉でも誰かを特定するのはむずかしいと指摘した。
japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com
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預ケ物・亂妨物、一切不可有糺明候、上様御物之事と慥候儀者預り主ニ可相届置候、其外之事改申間敷候、恐々謹言
筑前守
八月十四日 秀吉(花押)
堀尾毛介殿
速水勝太殿
唯江□□□殿
(書き下し文)
預ケ物・亂妨物、一切糺明あるべからず候、上様御物の事と慥か候儀は、預り主にあい届け置くべく候、そのほかのこと改め申すまじく候、恐々謹言
*預ケ物:他人に預けてある品物。寄託物。特に中世、土倉に預けおいた物。
*亂妨:乱妨または濫妨で「暴力を用いて略奪を働くこと」の意。現在の乱暴とは意味が異なる。
*御物:「ごもつ」または「ぎょぶつ」天皇家や将軍家の所有物に対して使われる言葉。
*預り主:他人から金銭、物品、土地などを預かっている人。
*堀尾毛介:堀尾吉晴
*速水勝太・唯江□□□:不明
(大意)
預け物、乱妨物について、一切追及してはならない、信長様の所有物であると明らかな場合、預り主に必ず届けること、そのほかの場合は調査してはならない。
この預け物、乱妨物に関しては同年7月12日の史料にも見える。
今度明智同家中、其外敵心之者共、預ケ物并乱妨物之事、早々可出合申候、若於隠置者、地下中悉可成敗候間、堅令糺明、早々出可申者也、
七月十二日 秀吉(花押影)
宇治
同白川
『豊臣秀吉文書集 1』(145頁) なお、この史料集は東京大学史料編纂所架蔵の写真帳から採集されている。
(書き出し文)
このたび明智同家中、そのほか敵心のものども、預け物ならびに乱妨物のこと、早々出し合わせ申すべく候、もし隠し置くにおいては、地下中ことごとく成敗すべく候間、かたく糺明せしめ、早々出し申すべきものなり、
7月12日の段階では明智の残党狩りと同時に預け物や乱妨物について、郷村へ厳しい態度で臨んでいることがわかる。7月21日に大山崎宛に油座の保証や徳政免除の、25日に摂津国別院へ治安の保証および直訴の奨励の文書を出しており、在地への目配りが行き届いている。また8月7日には目付として京都に留守居を置き、安土城再建にも触れている。