日本史史料を読むブログ 

日本中近世史史料講読で可をとろう

石田三成島津分国検地掟写を読む その9/止

今日で全11条を終える。

一、川役の事其むらゝ ゝニて見斗、年貢相定可申事、

    已上         石田少様 在判

 文禄三年七月十八日

               薩州奉行中

 

(書き下し文)

 

ひとつ、川役のことそのむらむらにて見計らい、年貢あい定め申すべきこと、

 

*川役:川にかかる年貢や運上。

 

*ゝ ゝ:引用書および原文はくの字点

 

*石田少様 在判:「石田少」様の花押が据えてあるという意味。

 

*薩州奉行中:引用した『石田三成第二章』(71頁)によればこの写が伝わる長谷場氏は鹿児島郡坂元村を本拠とする国人で、戦国末期に島津家の配下に入った。「秀吉・三成からの命令を筆写したものが伝存したと考えてよい」とあることから、ここでは島津家家中の検地奉行を指すものと解釈するのが妥当と思われる。その意味では、三成が直接検地したというより、指導していたものであろう。なお、三成の署名入り検地尺も鹿児島にしか伝わっていない。

 

(大意)

 

川役のことはその村その村の事情をよく見極めた上で、年貢率を定めなさい。

 

 

この文書は写であるので、もとの文書のかたちをどの程度正確に写し取ったか否かなんともいえないが、石田三成と薩州奉行が同じ高さで書かれていたとなると、三成はかなり尊大な態度だったといえる。三成から見ればそれだけ下位に属する、あるいはそう見せたがっていたと考えられる。ここでそうみせたがるというのは身分を可視化するという意味で重要な意味を持つ。通常身分制社会では一目でどの身分に属しているか判別がつかないと秩序が保てない。水戸黄門暴れん坊将軍の吉宗がその好例である。身なりや持ち物などに身分を示す工夫がちりばめられているのだ。以前、草履などについて述べたが、実用面はもちろん、そういった意味も持っていたのだ。

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