日本史史料を読むブログ 

日本中近世史史料講読で可をとろう

2017年7月発見の織田信長朱印状を読んでみる

2017年は織豊期史料の当たり年ではないかと思うくらいに新発見が相次いだ。今日はこの記事にある文書を読んでみる。

 

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御園之内神田郷
所務之事、米銭
小成物方保内
之内御来被官九人等
澤与助如当知行
宛行畢、皆一職申
付上者、人夫役諸役
令免許之状、如件、
 天正
  十一月廿四日  信長(朱印)
        澤源三郎とのへ

 

(書き下し文)

御園の内神田郷所務の事、米銭
小成物方ならびに保内の内御来被官九人等、澤与助当知行のごとく宛てがいおわんぬ、皆一職に申し付くるうえは、人夫役・諸役免許せしむるの状、件の如し、

 

 

*御園:『日本国語大辞典』に「平安時代以降、神社の荘園の称の一つ。本来、供御(くご)の果実・蔬菜類の調進のための園地であったが、のち通常の所領と異ならなくなった」とある。

 

*神田郷:美濃国賀茂郡神田郷。現在の岐阜県にあたるがより詳細な比定は未詳。

 

所務:荘園の経営、管理を行うこと。ここでは土地を支配すること。

 

*小成物:「コナシモノ」と読む。小物成のこと

 

*保:荘園や国衙領などの行政区画単位。

 

*御来被官:御家来被官と思われる。

 

*当知行:土地などを実質的に支配していること。

 

*一職:遺領、遺産のこと。ただし、荘園制下では下司職、名主職、百姓職、作職などの権利がひとつの土地に重層的に存在したため、これらをひとつにまとめることを「一職支配」と呼ぶ場合もあるので、すべての土地に関する権利を与える、という意味にもなる。

 

*澤与助、澤源三郎:この二人が何者であるか、東大史料編纂所のデータベースで検索したがヒットせず、記事中にあるような鷹匠であるとは確認できなかった。

 

*とのへ:漢字「殿」を著しく崩すとひらがなの「とのへ」となる。敬称としては薄礼にあたる。

 

(大意)

御園にある神田郷の支配のことは、米、銭、小成物および保内のうち被官九人などは、澤与助が当知行していたときと同様にあてがったところである。すべて一職に申し付けた上は、(織田信長やその他の者が課す)人夫役や諸役は納めなくてよいという趣旨は以上の通りである。

 

 

 

 

記事中にある様々な情報をこの史料だけから読み取ることはできない。神田郷を澤与助の時と同様に、源三郎に与え、様々な課役を免除することを証明する、とだけしか読めない。

 

むしろ興味深いのは、澤家の土地として相続することを信長の許可なくしてできない点である。澤与助亡き後、一旦信長の手に戻るのかこの史料だけでは定かでないが、少なくても完全に私的財産として遺産相続できないことは読み取れる。信長による介入が見て取れるのである。