ツイッターで「光秀書状」を眺めていると、議論は大きく2つに、しかもおそろしいほど隔たっていることに気付く。
ひとつは、すでに十分知られた文書であり、原本そのものが見つかったことは大発見だが、それ以外格別の新発見があったわけではないという流れ。この場合、天正5年説にも触れているし、藤田氏の解釈への疑問も提示されていて、掘り下げた議論になりつつある。
一方は、史料そのものへの興味はほとんどなく、各メディアの「写」という古文書学用語の大誤用をそのまま引き継ぎ、義昭黒幕説に一歩近づいたものという認識であろうか。
さて、各メディアは「写」という古文書学用語を誤解していて大変困るのだが、もっとも致命的なのが時事通信の次の記事だ。ただ、正直こちらの方が手の内をさらけ出している点で望ましい。というのも他のメディアは「写」の作成者やその時期を曖昧にしているからだ。
問題は「東京大学史料編さん所が明治22(1889)年に書状の写しを作成した後、原本は行方が分からなくなっていた」の史料編纂所が「写」を作成したという部分だ。これは影写本のことと思われる。もし、史料編纂過程で「写」を作成したとしたら、2000年に問題になった旧石器時代の「捏造」とかわらない。
影写本は、原本に別紙を重ねて透き写すものであり、現在のマイクロフィルムによる撮影と同様に、史料収集のための「コピー」であり、古文書学でいう「写」とは異なるものだ。もちろんメディアに専門知識を要求するのは無理筋だと思うが、よく人の話を聞いてから記事にしてほしい。
古文書学でいう「写」については以下を参照されたい。