徳川幕府は密通について、人妻と知っていた場合、知らずに通じていた場合、姉妹伯母姪との姦淫について次のように取り扱っていたようだ。
赦律(『徳川禁令考 別巻』295頁、創文社、1961年)によれば
拾五 密通又ハ強婬いたし候もの之事
一、人之女房と乍弁密会之儀申合、又ハ強婬可致と仕成、或ハ夫江手向いたし候類、赦免難成事、
是者、先例ニ見合、評議之上相認申候、
一、密通申掛候迄之もの、或ハ人之女房と不存類、其外品軽キハ、御仕置之軽重ニ応し、赦免可申付事、
是者、先例ニ見合、評議之上相認申候、
一、姉妹伯母姪等と密通いたし候もの、赦免難成事、
是者、先例ニ見合、評議之上相認申候、
*強婬:強姦
(書き下し)
拾五 密通または強婬いたし候もののこと
一、人の女房とわきまえながら、密会の儀申し合わせ、または強婬いたすべきと仕成、あるいは夫え手向かいいたし候たぐい、赦免成り難きこと、
これは、先例に見合わせ、評議の上相認め申し候、
一、密通申し掛け候までの者、あるいは人の女房と存ぜざる類、そのほか品軽きは、お仕置きの軽重に応じ、赦免申し付くべきこと
これは、先例に見合わせ、評議の上相認め申し候、
一、姉妹・伯母・姪などと密通いたし候もの、赦免成り難きこと、
これは、先例に見合わせ、評議の上相認め申し候、
赦律は恩赦に関する法典で、朝廷や幕府の吉凶にしたがって施行していた。つまり、恩赦に関するものだが少々興味深いので紹介してみた。二条目と三条目について述べてみる。
二条目は、密通を持ちかけた段階の者(まだ行為に及んでいない場合)、あるいは人妻と知らずに密通した者、そのほか軽罪の場合は、仕置きの重い軽いに応じて、赦免を申し付けなさい、と定めている。
三条目では近親相姦は赦免しないとしている。しかも、現在と同様に姉妹(二親等)、伯母・叔母・姪(三親等)と範囲が定められている点が興味深い。三親等以内の婚姻を認めない現民法より、「行為」自体を禁じている点は厳しかった、といえる。ただ、法令で定められていたからといって、当時の人々が守っていたとはいえない。むしろ、幕府が三親等以内の関係に悩んでいた、と解釈することもできる。問題は一親等(親子)の場合について言及がない点だ。当然忌むべきものとされていたのか、それとも実情に対して打つ手がないので、咎め立てしなかったのかここからはなんともいえない。
ちなみに、伯父・伯母は自分の親の兄・姉の場合、叔父・叔母は弟・妹の場合と使い分ける。