今一度、この書状の論点をおさらいしておきたい。問題は以下の部分の解釈である。
尚以、急度御入洛義御馳走肝要候、委細為*上意、
可被仰出候条、不能巨細候、
如仰未申通候処ニ、*上意馳走被申付而、示給快然候、然而**
御入洛事、即御請申上候、被得其意、御馳走肝要候事、
(以下略)
(書き下し)
なおもって、急度御入洛の義御馳走肝要に候、委
細上意の為、仰せ出さるべく候の条、巨細あたわ
ず候、
仰せのごとくいまだ申し通ぜず候ところに、上意馳走申し付けられて示したまい、快然に候、しかれども
御入洛の事、すなわちお請け申し上げ候、その意を得られ、御馳走肝要に候事、
(以下略)
*闕字:敬意を表す表現として一字分、空白とする方法。
**平出:敬意を表す表現方法の一つで、改行し文頭から書きはじめること。なお、大日本帝国憲法ではこの平出が頻出する。http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
藤田達生氏は、従来の天正5年、信長による雑賀攻撃に関する文書との通説に対して、闕字や平出という表現法および「上意」「御入洛」とあるのは将軍である足利義昭以外に考えられないとして、本能寺の変が起きた天正10年のものと理解すべきと主張している(同『本能寺の変の群像』159頁以下、雄山閣、2001年)。
奥野高廣『増訂織田信長文書の研究(下)』299頁(吉川弘文館、1970年、1988年増訂)では、この「上意」「御入洛」について詳細な解説はされていない上、闕字や平出に関する註記もないという憾みもある。
ただ、最近の研究でも早島大祐氏のように、天正5年と解釈する見解もある(藤井譲治編『織豊期主要人物居所集成』178頁、思文閣出版、2011年、2016年第2版)。
いずれにしても、この史料が天正5年の雑賀攻めに関する文書なのか、天正10年本能寺の変直後のものと解するのかで、全文の解釈はまったく異なる様相を見せることだけは疑いない。
補遺 平出は敬意表現の最上級といえる 2017/09/14