日本中近世史史料講読で可をとろう

ただし、当ブログは高等教育課程における日本史史料講読の単位修得を保証するものではありません

日本中近世史料を中心に濫読・少読・粗読し、各史料にはできるだけ古文書学に倣い表題をつけ
史料講読で「可」を目指す初学者レベルの歴史学徒として史料を読んでいきます

続「新発見」の光秀書状の原文と書き下し文を載せてみた

ニュース上ではやたら「新発見」と騒いでいるが、正確には原本の発見と言うべきところだ。実際知られた史料であり、奥野高廣『織田信長文書の研究』に収載されている。藤田達生氏は、足利義昭による「半済」「鞆夫」などの諸役を徴収していたことから「鞆幕府」体制が健在だったと指摘した上で、この新発見とされる史料を用いて義昭黒幕説を主張している。

 

 

ただ問題は、書状には通常月日しか記載されていないので、年代比定が難しいというところにある。実際「六月十二日」としか書かれていない。奥野氏は天正5年説を採っているが、藤田氏は天正10年説を採用している。

 

原本が見つかったこと自体は大変重要な発見だが、「本能寺の変の史料新発見」は少々勇み足ではないだろうか。

 

しかもどのメディアも藤田氏以外の研究者の見解を紹介していない。たとえば、朝廷黒幕説を唱え、論争を引き起こした立花京子氏等の見解もまたれるところである。