引用は奥野高廣『増訂織田信長文書の研究(下)』(吉川弘文館、1970年初版、1988年増訂)pp.298~299 ただし、闕字、平出は無視する
(包紙)
「
雑賀五郷 惟任日向守
土橋平尉殿 光秀
御返報 」
尚以、急度御入洛義御馳走肝要候、委細為上意、可被仰出候条、不能巨細候
如仰未申通候処ニ、上意馳走被申付而、示給快然候、然而 御入洛事、即御請申上候、被得其意、御馳走肝要候事、
一、其国儀、可有御入魂旨、珍重候、弥被得其意、可申談候事、
一、高野・根来・其元之衆被相談、至泉・河表御出勢尤候、知行等儀、年寄以国申談、後々迄互入魂難遁様、可相談事、
一、江州・濃州悉平均申付、任覚悟候、御気遣有間敷候、尚使者可申候、恐々謹言、
六月十二日 光秀(花押)
雑賀五郷
土橋平尉殿
御返報
(書き下し)
*(この部分は追伸)なおもって、急度御入洛義御馳走肝要に候、委細上意として、仰せ出さるべく候条、巨細にあたわず候、
仰せのごとく未だ申し通ぜず候処に、上意馳走申し付けらるるにつきては、示し給い快然に候、然して御入洛の事、即ち御請け申し上げ候、其の意を得られ、御馳走肝要に候事、
一、其の国の儀、御入魂あるべきの旨、珍重に候、いよいよ其の意を得られ、申し談ずべく候事、
一、高野・根来・そこもとの衆相談ぜられ、泉・河表に至って御出勢もっともに候、知行の等の儀、年寄国を以て申し談じ、後々まで互いに入魂遁れ難き様、相談ずべき事、
一、江州・濃州ことごとく平均に申し付け、覚悟に任せ候、お気遣いあるまじく候、なお使者申すべく候、恐々謹言
この書状を奥野氏は天正5年と比定しているが、藤田氏は天正10年のものと考えている。
藤田氏の著書『本能寺の変の群像』159頁(雄山閣、2001年)でこの書状に言及しているので参照されたい。
ところで文中「御気遣有間敷候」とあるが「有間敷」は「あるまじく」と読む。夏目漱石の小説などに「六ケ敷」と書いて「むつかしく」と読ませる例が見られるが、これと通ずるものがある。