一、損免の事、庄例・郷例ありといへども、先々の次第棄破せられおわんぬ。自今以後においては、所務人・地主・名主(ミョウシュ)・作人等立相ひ内検せしめ、立毛に応じこれを乞ひ、下行あるべし。もし立毛これを見せず刈り執り、損免申す族これありといへども、限りある年貢減少せず、悉く納所あるべし。公方年貢米銭等、先々免行はざる下地は、向後において損免の沙汰あるべからず。なかんづく、礼儀をもつて損免を乞ひ取る儀、停止(チョウジ)せしめおわんぬ。しかるうへは、礼銭を出す輩・執る輩、共にもつて曲事たるべき事。
(原文省略)『中世政治社会思想(上)』284頁
一、(風水害・虫害などの)損害による年貢の減免は、荘園や郷村の前例があるとしても、先例は破棄したところである。今後、所務人(通常荘園の代官などのこと)、地主、名主(この二者は上級農民)、作人(実際に耕作している者)など立ち会わせて調査を行わせ、実際の実り具合に応じて、年貢減免を申し出、減免を行うべきである。もし実り具合を見せずに収穫し、減免を申し出る者がいたとしても、年貢減免を行わず、すべて収納しなさい。公方年貢(荘園領主や地頭に納める年貢)米や銭など、以前にも減免を行わなかった郷村では、今後もこういった沙汰は出さない。なかでも、礼儀(賄賂の一種)を使って減免を願い出る行為は禁止したところである。そういうわけで、賄賂を渡す者、受け取る者ともに罪科である。
以前なら、荘園や郷村などで年貢減免のルールがあったのだが、戦国大名六角氏はこれはすべてご破算にするという。これまでそういうルールがなかったところは、もちろん今後もそういった手心を加えることはないとも断っている。
減免を行う場合は実際に実り具合を見てからという。それまでは、調査にやって来ることもなかったようだ。また、代官などに賄賂を渡して手心を加えてもらう習慣もあったらしいことがわかる。
立会人として様々な身分の名称があがっているが、村の中はかなり複雑だったようだ。