藤田達生ほか編『明智光秀』74頁、64号文書、ただし前掲書では「書状写」とするが、書き止め文言から「判物写」と判断した。 当庄之内、鵜川年貢米高頭之儀ニ付、打下之百姓存分有之由候、然者為庄内彼田地、早々苅上如約束可納所、聊不可有油断、并伊藤民部…
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